遠藤周作『沈黙』を読んで今思うこと [桜田淳子]
1月18日、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫さんが肺炎のため亡くなった。享年78歳だった。
岩見さんの見解には、結論に賛同できないこともあったが、深い洞察力には多くを学んだ。
記憶に新しいのは、日本には、定期的に開国と鎖国が来るということだ。
開国のときは、ものすごい勢いで外国の文化を無批判に受け入れる。
しかし、受け入れた外国の文化が飽和状態になると、徹底的に鎖国する。
そして、日本固有の文化との融合が図られる。時間をかけてゆっくりと。
大きなものでは、唐の文化もそうだし、ポルトガルの文化もそうだし、欧米文化もそうだった。
それは、宗教をも受け入れてきた。
遠藤周作さんの『沈黙』という小説は、示唆に富む。
殉教を恐れず、名誉を重んじる高名な宣教師は、なぜ棄教したのか?
そのことに、作者は一つの回答を示す。
それは、迫害に対する『殉教の美徳』ではなく、日本固有の風土に求める。
日本は『沼地』だと表現される。
この沼地はいずれ『根』を腐らす。
洗礼を受けた農民たちが信仰しているのは、キリスト教と似ているが、すでに別のものになっている。
この小説では、布教の無意味さに気づいて棄教するということを、作者独特の表現で大胆に描かれている。
学者の方を始め、賛否があるものの、多くの示唆にとむ。
多くの日本人は多神教に分類されるだろうが、それは、極東の辺境地に、文化を引き込む、祖先の知恵だったのではないだろうか。
以前、このブログで、『いなしの知恵』について書いたが、それに通じる発想があるのだと思う。
岩見さんの、開国と鎖国の循環も、遠藤周作さんの『沈黙』も同じ文脈で理解できる。
このブログの目的の一つは、桜田淳子さんの否定的評価を見直すことにある。
桜田淳子さんは、意志が強い。
その意志の強さが、僕らを突き動かす。
しかし、僕はこの矛盾に明快な答えを出すことは出来ない。
だが、微力ながら、このブログを書き進めるうちに、少しづつではあるが、疑問が解けてきたと言っていいかもしれない。
むしろ、疑問では無くなってきたと言ったほうがいい。
それは、唯一の正解ではないだろうが、そこに至る道だと思う。
複雑に絡まった歴史の糸を納得いくまでほぐすことはできないだろうが、近づきたいと思う。
今、願うことは、波が止まることだし、出来ることは、信じることだし、やるべきことは、想いを記録することなのだろう。
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僕の我慢が、いつか実を結び、
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が、百年続きますように
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遠藤周作さんの考え方が正しいことを信じる。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子『アイスルジュンバン』~生き方 [桜田淳子]
この年になって思う。
親になって最初に悩むことがある。
昨年11月の『ファン感謝デー』では、淳子さんは、久し振りに『桜田淳子』と自分の名を呼び、『いい名前』だと語ったことが、紹介されている。
淳子の『淳』に込められた思いは、ご両親が将来の幸せを込めてのものだった。
古い記憶だが、他の名前にしようとしていたのを変えられたものだと思う。
最後まで悩む。これでいいのかと。それが親なのだろう。
淳子さんは、事実として、結婚について実家の反対あった。
このブログを書いていて、このことが、僕のアキレス腱だった。
多くのファンにとっても。
そして、時は容赦なくお母さんに迫る。
昨年9月、淳子さんは秋田の実家を訪れ、お母さんやお兄さんとの懇親を深められたという。
昨年、最も嬉しかったのがこのことだった。
この情報こそ最も欲しかったものだった。
そんな願いを込めて、昨年の節分に書いた記事が昨日のことのようだ。
いくつの意味がこめられているのか。
岩清水のように淳粋な今を見る時、この名前は、淳子さんの生き方そのものを表していると思う。
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あなたがくれたこのこころは、優しい人を選びました。
自分じゃなくて家族の笑顔を願ってる人
いつか、あってください。
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『アイスルジュンバン』は、今、『愛する順番』となったのではないか。
桜田淳子的生き方は、永い時を経て一つの正解に達したことを強く信じる。
今日、七草の日に、櫻田家と東家の無病息災をお祈りいたします。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子さんの終活ということ [桜田淳子]
桜田淳子さんの『一夜限りのファン感謝DAY』から一月が過ぎた。
多くの方のブログには、淳子さんのお別れの言葉の『終活』と言うことが語られている。
『終活』は、人それぞれだろうが、この『一夜限りのファン感謝DAY』そのものが、淳子さんにとっての終活の一つかもしれない。
そうだとするならば、このイベントは淳子さんの人生にとって非常に重要なものであり、それは決意のものだったのだろう。
このイベントに、どのような批判が可能だろうかと考えていた。
しかしながら、正直この『一夜限りのファン感謝DAY』についての反応を見るとき、20年前の反応とは、趣が異なってきたように思う。
あの合同結婚式のときは、国民が驚き、それに乗じて、一部のコメンテーターに先導されて、マスコミがそれに乗っかりセンセーショナルに伝えた。
そして、それは非難にかわり、霊感商法へと論点が移っていった。
この騒動の背後には、以前『イデオロギーの終焉』として、このブログに何回か書いたように、統一協会と共産主義のイデオロギーの戦いがあったと理解している。
20年という時の経過は、一部の妄想的な人を除いては、そのイデオロギー性は陰を潜めている。
そして現在の批判者は、弁護士という、ある意味特権階級と言うことになるのだろう。
被害者の代弁という形をとることにより、彼らの正当性が形式的に確保されているところが、より議論を複雑にする。
これから桜田淳子さんは本格復帰するかもしれない、そうしたら被害が増えるだろう、そうした仮定の下に、桜田淳子さんに非難を向けているように見える。
しかし、これら一連の主張には、彼らの法律論を展開する上で重要な概念である、『相当因果関係』はないのではないだろうか。しかも仮定の話ならなおのことだと思う。
この20年間に行われた司法改革の影響で、弁護士登録する人が以前の10倍以上に増え毎年2000人以上に上るという。
その過剰感から、就職難となり、大手事務所への『居候弁護士』という修行も経ず、質的低下を招き、弁護士会での役員構成が変わったと言われている。
とにかく仕事の依頼が欲しい。そうした新人弁護士の悲鳴があると聞く。
しかし、若手を引っ張る中堅弁護士の活躍の場として、霊感商法の広告塔批判が繰りかえさえるなら、重大な人権問題は避けて通れないのではないだろうか。
今は、精神的自由が、憲法上最高位の保障を受けいていることを記載するに留めておこうと思う。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子さんの小さなイベントその3~その意味するもの [桜田淳子]
11月26日銀座博品館で、『ファン感謝DAY』が開催された。
会場に詰めかけた人はもとより、いけなかった人にとっても特別な1日だった。
多くの方の感動のブログがその興奮を物語る。
参加された方の喜びの声、参加できなかった方の真剣なコメントが並ぶ。
これでよかった。
翌日、テレビでは、1日だけの復帰が、温度差は違えど報道された。
もちろん全部見たわけではないし、受け止め方は人により異なるだろう。
そして、週刊誌の記事が追いかける。
淳子ファンからすれば、20年の溜飲を下げるものであっても、必ずしもそういう声ばかりでないことは誰でもわかる。
完全復帰を危惧する声があることには、耳を傾けなければならない。
20年間、桜田淳子さんは沈黙していた。
まさに、それが全てだと思う。
芸能界を離れた20年間は、淳子さんにとって幸せな時だったことだけは間違いない。
しかし、あまりにも突然の、芸能界幕引きは、多くの爪痕を残したのも事実だった。
今回のイベントでは、彼女をこれまで応援してきたファンへのメッセージ性の強いものになった。
と、同時に、お世話になった方々への感謝を述べられた。
何も語らず芸能界を去った彼女の無念。
そして、ファンとして、20年前支えきれなかった後悔。
淳子世代の僕らが、社会の荒波にもまれ、過去を振り返る余裕を無くしていたことも、社会が急激な早さで変遷したことも、全てが巡り合わせだった。
淳子さん、淳子ファン、その思いが重なることが、今回の小さなイベントの意味だったような気がしてならない。
しかし、潮の満ち引きがあるように、今回のイベントの成功の反動として、批判が集まってくるのが世の常だと思う。
僕らは、それが、つかの間の幸福の対価だとしたら、静かにそれに耐える事になるのだろう。
今回の小さなイベントで、淳子さんは、未だスター性を持っていたとの評価が高い。
評価が高まれば高まるほど、復帰の声が高まる。
それは、諸刃の剣となる。
それでも、僕は、道が開けることを信じる。
それは、彼女の評価を妨げる要因が、絞り込まれてきたし、一巡した感があるからだ。
批判は、淳子さんが沈黙した20年前から進歩してないばかりか、問題の本質の解決につながっていないのも事実だろう。
無意味な『失われた20年』と言うことになるのかもしれない。
次回から、20年前から変化の兆しがない個人批判は、現在どこまで妥当性を維持しうるのか、考えてみたいと思う。
桜田淳子さんの果てなく続くストーリー [桜田淳子]
夜の露を払って 花は咲いてゆくもの
涙を払って 人は行くもの
今年5月相澤会長の訃報を聞き、お通夜での桜田淳子さんへの気遣い、お通夜後の報道を見て、こんな記事を書いたのが昨日のことのようだった。
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桜田淳子さんの再評価の流れを見て、このブログは役割を終える予定だった。
しかし、7月末、淳子さんの40年記念が何がしかの形である気がして、それは漠然とした思いだったが、とにかくこのブログを再開しようと思った。
10月23日『Thanks40』の発売、11月26日『ファン感謝Day』とイベントが続いた。
聞くところによると、彼女の容姿も歌声も昔と変わっていなかったという。
淳子さんのがんばりは、昔から有名なことで、たとえ『2時間のため』でも、そのためならやり抜くだろうとは思っていた。
僕は、桜田淳子さんが好きだ。
そして、淳子ファンも好きだ。
話す機会もなく、垣間見る形でしかないが、いろいろな形で長年活動しておられる。
仕事の合間を見ては、淳子さんへの思いを馳せ、各地を回り、仲間を広げ、会を催し、本格的サイトを運営し、ブログを書き、ツイッターをし、わずかに流れる淳子さんの消息を求め、情報を集め、交換する。
それは、最も苦痛とする淳子さんへの否定的評価、報道、ネットを流れる戲言にも耐え、ひたすら桜田淳子さんの功績をいついつまでも残そうとするように思えてならない。
こうして、人生の後半戦を迎えたとき、こんな新鮮な気持ちになれるとは思わなかった。
そこには、利害もなければ打算もない。
『Thanks40』のブックレットでは、 『JBA』について綴られている。
アイドル時代の親衛隊だった。
自分のやるべきだと思ったことをやるその姿勢は、今も何も変わってはいない。
それぞれのファンが、今できることを、なにがしかの形で、やっている。
そのことが尊いと思う。
復帰するとかしないとか、そんなことではない。
桜田淳子さんが、幸せで有り続けることだけを願っている。
ただ一途に、桜田淳子さんとそのファンの方たちの、『果てなく続くストーリー』がいつまでも続くことを願ってやまない。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子さんの小さなイベントその2~時を超えて [桜田淳子]
時は、たんたんと刻まれる。
無情にも、あるいは優しくも。
20年の歳月が必要だった。
そして、時間と空間が交叉する一点がまもなく訪れる。
その日を待つのは、今の私ではなく、あの頃のがむしゃらな僕達なのだろう。
怖いものなどなかった。
何にでもなれると思っていた。
そんな夢の空間、夢の時間が訪れる。
9月に『Thanks40』の発売発表があり、『ファン感謝DAY』の開催が発表された。
正直、この無力な20年間が蘇った。
20年前、圧倒的な批判の前に、なす術が無かった。
それから、過去の名声は浮かんではかき消された。
しかも、重しを載せられながら。
物事の評価は、見方によって変化することを、経験則で知っている。
『僕』が『私』になるにつれ、判断能力は身についてきたつもりだ。
もはや、20年前の否定的評価は踏み越える時期が来たと言うべきだと思う。
それでも、知恵遅れな議論を繰り返すことは、なにがしかの意図があるとしか思えない。
その議論の根底にあるのは、イデオロギーに由来する。
『イデオロギーの終焉』が必要なのはわかっても、今更ながら、超えられないのだろう。
淳子ファンは、昔から純粋な人が多い。
複雑な議論より、今回の小さなイベントを素直に喜びたいと思っている。
桜田淳子さんは、普通の芸能人にありがちな人気取りではなく、受け狙いではなかったことを僕らは知っている。
ただひたすら、自分の芸を極めたいと思っていた。
周りのスタッフも、そんな彼女に頂点を見せてあげたいと思っていた。
僕らは、そんな彼女が好きだった。それは、子供ながら感覚として理解していたつもりだ。
今、この年になって思うことは、高みを目指す彼女を助けられなかったことだろう。
宗教問題が利害打算とともに取りざたされる。
しかしながら、彼女が芸能に打ち込む背景に宗教的確信があったとしても、それは僕らに何ら影響しなかった。
私は、無信教というより、他の多くの日本人特有の多神教に分類され、しいて言うなら母と同じく仏教になるのだろう。
そのこと自体に、何ら価値を見いださない。しかし、宗教を理解することは出来る。
残念ながら、桜田淳子さんが復帰するのは叶わぬ夢だと思っている。
それは、年のせいではない。
トムクルーズの例を引くまでもないが、日本人の思想的成熟を待たなければならないからだ。
僕は、幼稚な議論に引きづられ過ぎたことが残念でならない。
ただ、教訓として、一方通行の批判は何も生み出さず、ただ追い込むだけだと言うことを教わった。 必要なのは、是々非々として理解する姿勢だと思う。
僕は、桜田淳子さんの小さなイベントに参加することはできない。
これは長年、応援された方へのプレゼントだと思っている。
しかし、遠くにいても、彼女を信じ続けることは変わらないだろう。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子さんの小さなイベント [桜田淳子]
時は静かに去って行く。
楽しい時は速く。
苦しい時は遅く。
それでも、確実に去って行く。
そうした時の流れの中で、もがき苦しみ、喜ぶ。
法律が最低限の道徳であるべきかどうかはさておき、法の世界でも、時の経過には、格別の配慮がなされる。
20年間『沈黙』を守った人がいる。
否定的な見方を耐えた人がいる。
そして、今、自ら『沈黙』を破ろうとしている。
その意味は深いし、語るには耐えない。
僕には、到底それを目撃することはできない。
今月26日、桜田淳子さんの『ファン感謝デー』が開催される。
時が来たのかもしれない。
いや、長年、草の根の活動をされたファンも含めて、『時』を創り出したのかもしれない。
しかし、その『一日』すら否定するのなら、もはや語る術すらないし、これまで感じたことがない怒りすら感じる。
紀藤正樹弁護士は、マスコミにも登場する有名人であり、消費者問題に取り組む正義感がある方だと思っている。
しかし、いかに、目的が正しくても、選ぶ手段が受け入れられなければ、それを、社会正義とは言わないのではないだろうか。
私には、統一協会問題を、再び社会問題とすることにより、法廷闘争を有利に運ぶために、実名報道しているようにしか映らない。
もはや広告塔の範囲すら踏み越えているのかと思わせる。
法律論であるならば、目的と手段の均衡を図る必要があるのではないだろうか。
逸脱した手段にいかなる正義もないと思う。
私は、桜田淳子さんを信じているし、イベントを企画したビクターや会場となる博品館が、真摯な企画をしたものだと信じている。
氏は、ブロクの中で『子供たちの夢』まで引き合いに出しているが、『子供の頃の夢』を壊されたファンの思いをどう思うのだろうか。
中学生の時、小遣い銭を握りしめレコードを買いに走った僕らの思いは壊されたままでいいのだろうか。
20年の時を超え、ファンは、小さな空間に集う。
私は、そんな長年応援してくれていたファンの喜びの声を聞きたい。
時を忘れるひと時が、平穏に過ぎて行くことをひとえに願う。
楽天優勝に思うこと~斎藤隆の献身 [時事]
引き際には美学がある。
日本人なら好むシナリオだと思う。
しかし、それでもあえて、戦いを挑む人もいる。
チャレンジの賭け金は、過去の栄光ということになることもある。
今年のこのブログの書き始めは次の記事だった。
幸いなことに、プロ野球の今シーズンは楽天ゴールデンイーグルスの優勝で幕を閉じた。
松井稼頭央選手と斎藤隆投手は、優勝請負人として持ち味を発揮して優勝に貢献した。
私は、楽天ファンではないが、今回の楽天優勝は嬉しい。
震災の爪痕残る東北のチームの優勝は、誰しも納得できるものだったのだと思う。
斎藤投手の今季の成績は、3勝0負4セーブだった。
彼のメジャーでの実績から見れば、特筆する数字ではないかもしれない。
クライマックスシリーズも、日本シリーズも、クローザーとして勝利に貢献した。
確かに、全盛期に比べるまでもなく、手元で跳ね上がるようにホップするボールこそなかったが、丁寧にコーナーをつく配球はさえた。
しかし、彼の今季の貢献は、数字ではない。
いや、マウンド外でこそ彼の力は発揮されたのかもしれない。。
斎藤には優勝への秘めたる思いがあった。
彼は、東北大震災の無念さをはらす責務を自ら課していたのだろう。
そういう意味でも、楽天優勝は、彼がこれまで日米で味わった勝利に勝るものだったに違いない。
東北復興への希望の光となった今、来季、ブルペンから見つめる斎藤の視線の先には、楽天の若手投手の今季以上の活躍が映ることを期待している。
風が吹けば桶屋が儲かる~桜田淳子さん沈黙の意味 [時事]
20年以上の前のことを微かに覚えている。
1992年の事だった。
朝、出がけに、家内が声をかけてきた。
桜田淳子さんの結婚会見がテレビで放映されていることを受けてのものだった。
突然のニュースに驚きはしたが、軽い返事をしたことを覚えている。
それからというもの、桜田淳子さんについては、否定的な報道が相次ぎ、ついには批判報道は確立する。
もはやバッシングという簡単な言葉では済まされなくなっていた。
その後の十年は、統一教会がらみで非難の十年。
そして、芸能界から無視されたかのような十年。
そんなくくりになるように思う。
その時々の浮き沈みはあるにしても。
自分自身何も出来なかったにせよ、今に思えば心苦しい時の流れである。
桜田淳子さんにある批判の中心を見てみると次のようになる。
- 先ずは、統一協会の広告塔であるという批判
- 恩師相澤会長への霊感商法に関わったのではないかという批判
- 統一協会によりマインドコントロールされているのでないかという批判
そのことから、復帰については
謝罪が必要であるという
統一協会からの脱退が必要である
と言う意見がある。
それについて、桜田淳子さんの答えは、20年間の『沈黙』だった。
その桜田淳子さんが、11月26日(火)極めて限られた空間ではあるがステージに立つ。
様々な思いがこもるが、彼女自ら破る沈黙の意味は重い。
それは、『1日限定』しかも来場できるのはCDアルバム『Thanks40』を買った人だけの、おそらくはオールドファンが中心となるのだろう。
この限られたイベントが復活と言えるか疑問ではあるが、一つ言えることは、オールドファンの心に残る彼女のイメージが変わることないものであり続けたかを確認できることにある。
私の思い描く彼女の人間像と現在の実像が何の曇りもなく重なるものであると確信している。
そして、彼女に対する批判の大半が、ありふれた人間像の延長線上のもであり、桜田淳子さんの人間像に迫るものではなかったと思う。
だから、桜田淳子さん自身、批判に対して『沈黙』が可能だったのではないだろうか。
11月26日の『ファン感謝イベント』に向け、雑誌、テレビでは、比較的中立的な報道がなされているように思う。
これまでの、20年間を思うとき、それは、意外だと受け止められているのではないだろうか。
むしろ、これまでの20年間の報道のあり方が異常だったと思うのだが。
そこで、進行的ではあるが、少し総括してみたいと思う。
先ず、マインドコントロールという非現実的な批判報道は、中島知子さんの一連の報道以後、さすがに陰を潜めた。
恩師相澤会長への霊感商法への関与は、故相澤会長のお通夜の報道の際に、否定された。
残るのは、統一教会の広告塔という批判なのだろう。
そこで、『統一教会の広告塔』という批判の意味を考えてみたいと思う。
それは、霊感商法の訴訟と大きく関わり合っているのではないだろうか。
日本の『失われた20年間』の功罪の一つに、司法のバランスの喪失がある。
法曹3者の内、裁判官、検察官以外は弁護士への道を選択することになる。
その数は司法改革のあと、うなぎ登りとなる。
もちろん、弁護士の増加とともに、『PL法』や消費者保護の関連法、薬害訴訟など、アメリカ的な訴訟社会への布石はうたれ、供給と需要のバランスを試みられたが、未だ十分な状態ではないのだろう。
そのため、今では年収200万円以下の弁護士がざらにいるとの報道が相次ぎ、不正事件も多く聞く。
これは周知の事となっている。
訴訟社会への移行が、弁護士の金銭的ステータスを高めることになるはずだったのだろう。
しかしながら、アメリカ的な『PL訴訟』は、製造者としての企業の負担を重くする。ひいては、輸出に大きなダメージとなる。
そこで、資金力のある企業ではなく、消費者をターゲットにした、訴訟が弁護士の活躍の場となる。
だけれど、消費者訴訟は、一つ一つは比較的少額な訴訟であるが、かかる負担は、大きい。
そのため、法廷闘争を有利に展開するために、社会問題化する必要がある。
『悪徳商法』『霊感商法』というのは、そうした法廷闘争にとって有利なものとなる。
統一教会、霊感商法、桜田淳子という一連のレッテル貼り(ラベリング)は効果的だった時代がある。
いわゆる『広告塔』の活用であった。
そうした、この20年間の弁護士、ひいては訴訟をめぐる流れをみて、次の記事を読んでもらえばよくわかると思う。
紀藤正樹弁護士投稿
正直、未だに、20年の時を超え、旧態然の批判には情けなく思う。
落語に
『風が吹けば桶屋が儲かる』
と言うのがある。
現代の桶屋でないことを祈るのだが。
この記事の、中身の問題点については、次回以降綴りたいと思う。
日本人らしい対応 [時事]
『半沢直樹』が無事終了した。
毎週の楽しみがなくなって、日曜日の夜が味気ないものとなった。
今年の流行語は、『倍返し』といことになるのだろうか。
このドラマの中で、半沢直樹が、自分たちの行為を『大和田常務と同じことをやっているのではないか』と内省するシーンがある。
近来、中国や韓国における反日デモには目に余る行動が目立つ。
その挑発に乗り、同じような行動にでることは、果たして日本人のとるべき立場だろうか。
毎日新聞 社説より
人種差別的発言に一つの方向性が示された。
それが、2013年10月7日の京都地方裁判所の判決なのではないか。
人種差別発言が許されないことは、世界が作り出した現代の常識だと思う。
それは、国連による人種差別撤廃条約を待つまでもない。
法律で規制するまでもない。
国家が強制するにはあまりにもお粗末だ。
今回の判決は、その当然の帰結をどのようなプロセスを経て法体系が受け入れるかの一つの道筋を示したことにあると思う。
『表現の自由』が、自由であろうとするあまり、他者の尊厳を傷つけることがあることを自覚するべきである。
その場合の権利の調整原理として、民法の不法行為という枠内で処理される方向性を判決は示した。
たしかにその場合、損害の認定をしなければならないが、表現の自由を制限するには、やむを得ないと思う。
表現の自由を制限できるのは、『人権と人権』が対立する場面となる。
この判決により『ヘイトスピーチ』が認定されたとし、直ちに規制する法整備をすべきだと短絡的に主張する人がいる。
確かに、正論のようであるが、それにより失われるものが多いことを知るべきであろう。
規制は、間違いなく、萎縮効果を生む。
何が規制の対象で、何が許されるのかの判断を国家に委ねることが危険であることを、日本人は過去経験してきた。
国家が法律により制限することは、自由が謳歌されている現況下では、時代の後退と見なされるだろう。
特に、戦前、戦後の体験者及び、その影響下の教育を受けた者には、将来を危惧することになるのではないだろうか。
京都地裁判決は、現行法の枠内で、人種や民族などの違いに基づく差別は許されないという常識を強調したに過ぎない。
それは、現行法の枠内での解決が可能なことを示したものだろう。
今、左派系の党派を中心として、人種差別に対する憎悪表現を規制する立法の必要性を安易に発言する人がある。
国会議員にしてこの程度かと思うのだが、国家が、個人の自由に干渉することは、必要最小限でなければならないと思う。
さらに、『嫌韓デモ』に対する『カウンター』に積極的に参加する国会議員もいる。
実力阻止は、新たな火種をまくだけで、根本的な解決にはつながらない。
むしろ、『失われた20年』に行われた、教育のあり方こそ見直さなければならないと思うし、そうした広告こそが必要なのだろう。
時間はかかるかもしれないが、そこには、民主的なあり方が確かにある。