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遠藤周作『沈黙』を読んで今思うこと [桜田淳子]

1月18日、毎日新聞特別顧問の岩見隆夫さんが肺炎のため亡くなった。享年78歳だった。

岩見さんの見解には、結論に賛同できないこともあったが、深い洞察力には多くを学んだ。

記憶に新しいのは、日本には、定期的に開国と鎖国が来るということだ。

開国のときは、ものすごい勢いで外国の文化を無批判に受け入れる。

しかし、受け入れた外国の文化が飽和状態になると、徹底的に鎖国する。

そして、日本固有の文化との融合が図られる。時間をかけてゆっくりと。

大きなものでは、唐の文化もそうだし、ポルトガルの文化もそうだし、欧米文化もそうだった。

それは、宗教をも受け入れてきた。

 

遠藤周作さんの『沈黙』という小説は、示唆に富む。

殉教を恐れず、名誉を重んじる高名な宣教師は、なぜ棄教したのか?

 

そのことに、作者は一つの回答を示す。

それは、迫害に対する『殉教の美徳』ではなく、日本固有の風土に求める。

日本は『沼地』だと表現される。

この沼地はいずれ『根』を腐らす。

洗礼を受けた農民たちが信仰しているのは、キリスト教と似ているが、すでに別のものになっている。

 

この小説では、布教の無意味さに気づいて棄教するということを、作者独特の表現で大胆に描かれている。

学者の方を始め、賛否があるものの、多くの示唆にとむ。

 

多くの日本人は多神教に分類されるだろうが、それは、極東の辺境地に、文化を引き込む、祖先の知恵だったのではないだろうか。

 

以前、このブログで、『いなしの知恵』について書いたが、それに通じる発想があるのだと思う。

岩見さんの、開国と鎖国の循環も、遠藤周作さんの『沈黙』も同じ文脈で理解できる。

このブログの目的の一つは、桜田淳子さんの否定的評価を見直すことにある。

桜田淳子さんは、意志が強い。

その意志の強さが、僕らを突き動かす。

しかし、僕はこの矛盾に明快な答えを出すことは出来ない。

 

だが、微力ながら、このブログを書き進めるうちに、少しづつではあるが、疑問が解けてきたと言っていいかもしれない。

むしろ、疑問では無くなってきたと言ったほうがいい。

それは、唯一の正解ではないだろうが、そこに至る道だと思う。

 

複雑に絡まった歴史の糸を納得いくまでほぐすことはできないだろうが、近づきたいと思う。

今、願うことは、波が止まることだし、出来ることは、信じることだし、やるべきことは、想いを記録することなのだろう。

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僕の我慢が、いつか実を結び、

果てない波がちゃんと止まりますように

君と好きな人が、百年続きますように

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遠藤周作さんの考え方が正しいことを信じる。

 

追伸 動画のUP主様に感謝します。


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