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もつれた糸 [時事]

報道とは何か。

 そんなことを考えさせられることが続く。

数年前、子供の受験の為と思い、石原千秋さんの『受験国語が君を救う』と言う本を買ってあげたことがある。

受験により、読解を知り、思考の多元化を図ることができ、そこから智恵が生まれる。

僕らの時代は、よく、朝日新聞の社説か天声人語を読むことを進められた。

さらに、評論、随筆は、小林秀雄さんの難解な本を読むことが求められたし、小説は、夏目漱石を愛読するものが多かった。

それは、受験に良く出題されると言う理由が大きかった。

そして、学生の頃は、インテリ気取りのある種の証明に、『朝日ジャーナル』があった。

学食でさりげなくを読む友達に妙なコンプレックスを感じたものだ。

朝日ジャーナル編集長の筑紫哲也さんの寄稿は読んでいた記憶がある。

まだまだ、理想論をかざしてわかったような気になっていたときのことだった。

『朝日ジャーナル』自体は、左寄りだとしても、筑紫さんの読み物は、それを感じさせなかった。

それは、彼のジャーナリズム精神に由来するのだと思う。

その朝日ジャーナルの転機となった時代を紐解いてみよう。

1985年だったか、豊田商事事件があった。

カメラの前での刺殺という衝撃的事件とともに悪徳商法という言葉を、全国的に有名にした事件ではないかと思う。

それまでは1970年代のネズミ講事件しか知らなかったが、マルチ商法など、○○商法という言葉が生み出されていったのもこの頃だった。

それは、金融の時代、バブルの時代を見据えての時代の『光と陰』だったかもしれない。

翌年の1986年になると、『霊感商法』という新語を耳にする機会が増えてきた。

その年の12月5日号の『朝日ジャーナル』に霊感商法を糾弾する記事が掲載される。

当時の編集長は、筑紫哲也さんだった。

しかし、ほどなく、筑紫哲也さんは、編集長を下ろされる。

そして、『朝日ジャーナル』は、霊感商法批判、統一教会批判をさらに強めていく。

その急先鋒が、当時無名のルポライターの有田芳生さんだった。

フリーのジャーナリストとしては抜擢と言っていいのかもしれない。

その象徴として、朝日ブックレット『霊感商法』(朝日ジャーナル編、1987年6月)が発行される。

つい最近のことだが、『霊感商法』という小冊子を近くの図書館で入手した。

もちろん、時代意識をもって批判的に読む気持ちはあったが、それ以前に、正直あの『朝日ジャーナル』が、と思わせる内容だった。

あきらかに、時代の言葉である『○○商法』にかこつけての、統一教会への名指し批判である。

このブックレットは批判する必要の無い程度だったことだけは断言できる。

本来なら、あらすじでも拾い、問題点を挙げるのが正しい批判のあり方かもしれないが、読み始めて、落胆するまでに、さほど時間がかからなかったとだけ記録しておこうと思う。

読者が、この手の記事に求めるのは、何故そうなったかの取材の深さであり、それが導きうる時代への警鐘なのではないか。

しかし、このブックレットにあるのは、東西の古いイデオロギー問題だったと言っていい。

イデオロギー問題を少し角度を変えてみよう。

1980年のモスクワオリンピックは、前年のソ連のアフガン侵攻に抗議する形で、西側諸国がボイコットし、1984年のロスアンジェルスオリンピックは、東側諸国がボイコットする事態になっていた。

しかしながら、この二つのボイコット合戦は、多くのスポーツ選手を傷つける不幸はあったが、結果的に見て、西側の商業主義によるオリンピックが成功し、共産主義は衰退に向かっていったように思う。

事実、翌年1985年から、ゴルバチョフ時代になり、ペレストロイカが推進される。

もはや、マルクス主義は、学問的には成り立つとしても、人類の進歩の前には無力であることが露呈したのではないだろうか。

1985年以降は、商業主義化の流れの中にあり、純粋な共産主義は衰退に向かうと共に、彼らの主張は資本主義の枠組みの中で、その主張をしていく事になる。

朝日ジャーナルの変容はその影響下にあるとさえ思える。

筑紫さんが、偏った編集方針を当時どう感じたかは、今更の感があるが、編集長交代後の朝日ジャーナルの衰退・廃刊への道を考えるとき、本のタイトルを離れジャーナリズム精神をも見失っていったことと無縁では無いと思う。

時は流れ、今、親会社の朝日新聞が、歴史的な岐路に立っている。

従軍慰安婦問題のけた外れの誤報が、明るみになった今、朝日新聞社の姿勢そのもののが多くの批判にさらされている。

読者ばかりか、記事の提供者までが、離れようとしている。

池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ

そして、国会喚問までとりざたされている。

1970年代の西山事件で毎日新聞が倒産に追い込まれたことが思い起こされる。

報道の危機といってもいいのではないだろうか。


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菊と刀 [時事]

時の経過は、人に様々な変化を与える。

40年近く前だが、高校の時の漢文の授業の事は良く覚えている。

『仕事だから漢文は教えるけれども、大して重要ではない。』

と切り出しながら戦争体験を話すのが常だった。

先生は、元海軍のパイロットだった。

歯並びはがたがたで、笑うとお世辞にもいい気分になれなかった。

それでも、授業の半分で語られる戦争体験は、僕らを引きつけた。

先生は過去の戦争を美化していたのだろうか。

自分の勇敢さを誇示していたのだろうか。

今でも、良く覚えているこことは、空母への着艦の難しさだった。

海上では、風の影響を受け、波に揺れ、離着陸の距離は短く、短時間に操縦をこなさなければならない。

しかも無駄な飛行は、貴重な燃料の浪費となる。

その上、少しでも弛んだ姿勢を見せると、容赦なく上官の鉄拳が飛ぶ。

先生の歯並びの悪さは、その影響が大きいと言うことは容易に察しがついた。

軍隊には、『軍人精神注入棒』というのがある。

六角棒で、そこには軍人精神が書かれており、それでお尻をたたかれるという。

先生が痔だったこともあるが、その痛さたるやこの上なかったとのことである。

何が幸いするか分からない。

着陸の際の衝撃を和らげることが、自分の尻の痛みを和らげることになる。

技術は、そうして磨かれたというのが、先生の言だった。

その先生が、言う。

『零戦で、いよいよ最後を知ったときに、パイロットが口にするのは、決して天皇陛下万歳ではなく、残された家族、多くの場合おかあさん、だった。』

そして、戦争は人を狂気に変える。

厳しい訓練や軍隊生活の中にいると、死ぬのが怖くなくなる、という。

そんな、先生でも、宣戦布告した国に対する恨み節は聞いたことがなかった。

もちろん、戦争を体験した両親も含めて身の回りの人で、国の責任を問う声は聞いた事が無かった。

多くの人が、廃墟から立ち上がり、戦後の危機は乗り越えたが、実は、戦後が遠くなればなるほど、戦争責任を問う声が強いのではないだろうか。

それは、外国からだけではなく、国内からもそうだろう。

特に、この『失われた20年間』ほど、その傾向が強い。

かつて、ベネディクト女史は、『菊と刀』で日本を『恥の文化』だとした。

子供の頃は、戦争の悲惨さが強調されていたが、この20年間に与えられたものは、日本人の名誉を踏みにじるものが多かったように思う。

このブログで、慰安婦問題を何回か取り上げた。

まだ幼い頃から、従軍慰安婦のことはテレビドラマでも取り上げることがあり、この耳慣れない言葉を父に聞いた事がある。

しかし、時代が進むにつれ、女性の権利が高まると共に、この問題は現在の人権感覚と絡まり、複雑になってきた。

あきらかに、法理論を逸脱している。

そこには、別の意図がある。

過去記事では、

日本と韓国の関係  

すべてはここから始まった

と題して、

朝日新聞の慰安婦に関する記事の訂正

河野談話の検証

の2点の挙げていたが、それは、根拠が薄弱だったこと、展開に飛躍があることからすれば、あまりにも当然すぎることだったと思っている。

今年になって、7月に河野談話の検証が行われ、8月に入って朝日新聞の従軍慰安婦に関する訂正記事が発表された。

それが、外交の果実であるにしても、遅きに失した感がある。

なぜなら、十分すぎるくらい多くの人を苦しめた思うのは私一人では無いと思うからだ。

来年、戦後70年を迎える。

この時期に、集団的自衛権を始め、国内外に様々な動きがある。

その動きに反発の声は多く聞かれる。

その多くは、侵略戦争への反省に根ざすものだろう。

僕らの時代には、教科書には侵略とは書かれていなかった。

それは、戦争経験者が多数を占める時代、戦友の死がまだ身近にあった時代に、どうしても『侵略』とは書けなかったのだろう。

しかし、第二次世界大戦以前は、欧米列強による植民地政策がとられ、アジア、アフリカには独立国としての体裁がなく、食うか食われるかの時代で生き残ることが難しかったのも事実であるし、列強により後進国の分割が進む中での軍事的な侵攻であった思う。

もちろん、それを侵略と言うべきだろうが、欧米列強のアジア、アフリカへの侵攻は、すべて侵略だったと言うことだろう。

昭和20年8月15日、終戦を迎え、日本は無条件降伏し、連合国による東京裁判で戦争犯罪を裁かれ、占領下では軍国主義の温床となるものは解体した。

温床となる価値判断は欧米の価値判断に多くを委ねられたことは書くまでもない。

ただ残されたものがあるとすれば、それは、戦地に赴いた者の記憶と、教室の隅で恐れず語る教師の声や、寝床で語る父親の話なのかもしれない。

それは、恥ずかしいこと、やましいことがなかったということだけは断言できる。

今日、終戦の日を静かに迎えるにあたり、いささかでも先人に思い至りたいと思う。

追伸、動画のUP主様に感謝します。期間限定での引用と致します。


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青いリボン〜声を限りに [時事]

新潟の駅前や街頭で、声を限りに訴えかけられてから、その輪が少しづつ広がった。

しかしながら、時の進み方に比べ成果は少なく、理不尽さは多くの国民が共有したのではないだろうか。

十年以上になるが、小泉首相の時に、拉致問題解決に向け風穴が開けられ、5人が帰国されたものの、それでも完全な解決には至らなかった。

その後、北朝鮮の核開発や朝鮮情勢が話題になるたびに、横田さん夫妻を始め、関係者の声が紹介され、それを声高に記事にされていく日々が続いてきた。 中には、特定の意図を持って、拉致被害者の方々に接してきた人もいる。

そうした諸々が、情報を混乱させてきたことは否めず、横田さんの悲しみを癒したか非常に疑わしいものも多かったように思う。

しかしながら、こうしたあざ笑うような膠着状態に、光がさしてきたのではないか。

先般、ストックホルムでの日朝交渉の結果、拉致問題は再調査されることが決定された。

もちろん、それが交渉の成果である限り、日本も譲歩が必要だった。

そして、アメリカを始め、韓国などの周辺国の外交的理解なしには、この交渉は成り立たないことは、先のオバマ大統領日本訪問での横田夫妻との面会で、伺い知ることはできる。

そうした多難を越えた成果であることに思いを馳せる。

『一人の生命は、全地球より重い』とは、法を学ぶ人に限らず、多くの心の拠り所となることが多い。

拉致事件への取り組みは、そうした日本人の心の有り様を映しだすものだと信じる。

横田さんたち拉致被害者や、関係者の方々、それを支援される方々の胸にはブルーリボンバッチが掲げられている。

バッチが外される日を静かに待ちたいと思う。

その日、日本海の青い海は、波静かであることを祈るばかりだ。

追伸 拉致問題の記憶は、2012年9月3日、『恥ずかしい思い出』として、ブログに書き留めた。

ブルーリボンとともに、記憶が書き加えられることを静かに願う。


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独眼竜政宗に見る~初陣 [時事]

歴史に学ぶ機会は多い。

時代の変遷による価値観の変化はあるにしても、底流に流れる考え方にさしたる違いは無い。

それを『不変』というには、まだまだ経験が足りないが、それを鏡とすることは出来る。

先般、独眼竜政宗第7回『初陣』を観た。

冒頭、和尚が、若き政宗に諭す。

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『若は、敵を憎んでおるか。

大将たる者、誰も憎んではならぬ。

憎んで出たのでは、阿修羅の働きがせいぜいじゃの。

敵を調伏(ちょうぶく)し、世を救うことは出来ぬ。

憎しみは、必ず我が身に刃を返す。

まあよい、心眼を開いておれば、おいおい分かる。』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2013年3月1日、1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典の中で、朴大統領は、

「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」

と述べ、それ以後、各国を歴訪し、日本の歴史認識を糾弾する。

この事に対して、当然日本国内でも反発の声が上がる。

『千年』という時は、古くは平安時代に遡ることになるほどの永い年月だ。

非常に残念なことながら、日韓の消えることのない『憎しみ』を浮かび上がらせることにほかならない。

『歴史認識』ということが、最近よく耳にする。

しかし、歴史は、学ぶべきものであり、将来の礎にすべきものだと思う。

徒に、引き合いに出し、感情の道具にしたり、経済的利益を引き出す材料にすることは、愚かな事だと言わなければならない。

歴史研究は重要だけれども、それは政治家の仕事ではなく、学者の仕事ではないか。

韓国では、沈没事故について、大統領が涙の謝罪会見を行った。

しかし、それにもかかわらず、非難や中傷が入り交じっている。

大統領のやるべきことは、謝罪会見で涙を流し、海洋警察組織を解体し、官僚と民間の癒着をさらすことなのだろうか。

こういうときこそ、人心を掌握し、まとめ上げることが大事では無いかと思う。

目先の選挙にとらわれることがないように祈る。

伊達輝宗は、大河ドラマの中で、

『殿は、あまりにもご家来衆を信じ切られております。』

と切り出し、自らの野心を告げる家来に向かい、手打ちにせず許しこれを重用する。

その光景を、政宗は目の当たりにし、先ほどの和尚の教えを噛みしめることになる。

もちろん、輝宗は、軍紀を乱した者をそれ相応に戒めることを怠らない。

一軍の将とは、そういうものだと思う。

敵か味方かは、その場の状況で相対的に決まることがある。

憎しみの感情は、政(まつりごと)の妨げになる。

それが、判断を狂わせることこそ歴史に学ぶべきだと思う。

追伸

今、日韓関係は、最悪なものとなった感がある。

本屋にいっても、嫌韓本はあふれ、雑誌は書き立てている。

このブログを書き始めた当初までの韓流ブームは、今は昔の感さえある。

出口が見えない今の状況を打開できることを偏に願う。


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東北復興に、黄色いリボンはたなびくか。~独眼竜政宗 [時事]

3年という月日は、永いのか、短いのか。

2011年3月、東北の大震災は、平和ぼけしたかのような日本に大きな衝撃を与えた。

多くの悲しみを共有しつつ、教訓にかえて次の世代に伝えていくことになるのだろう。

1987年のことだが、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放映された。

遠く、戦国時代に思いを馳せるとき、武力を背景にするものではあり、下克上の世の中であったにしても、根底には自国の領土を繁栄させる考え方は確かにあった。

政宗が、仙台の礎を築くに当たり、中央政権とのパイプに重きを置きながらも、地方色を生かし、安定した政治を行った手腕は今の見本となるのではないか。

それぞれの地方には、誇れる英雄がいる。

大河ドラマが、地方の活性化の刺激になっている側面はよく指摘されていることだが、この『独眼竜政宗』から、その傾向が顕著になったと言っていい。

当時、このドラマの主人公達が、仙台を訪れ、祭りに参加し、賑わったというエピソードが今も語り継がれていることは、非常に嬉しい。

残念ながら、歴代視聴率最高のこの大河ドラマをNHK自体が、全編再放送することは、これまでなかったという。

理由は察するにあまりあるが、今となっては、触れる必要は無いのかもしれない。

それより、このドラマの再放送を素直に喜びたい。

今、『独眼竜政宗』の歓迎ムードである。

東北復興の一助となれば、震災に遭われた方々はもちろん、復興に携われる方々の励みになるのではないかと思う。

ドラマの出演者としても、時を超えて望外の喜びとするものに違いない。

これから、さらに復興が加速されることを願ってやまない。


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黄色いリボンに思いを馳せる [時事]

1960年代、テレビでよく西部劇を見ていた。

今でも覚えているのは、幌馬車がインディアンに取り囲まれ、必死に馬車を守ろうと応戦するシーンだ。

多勢に無勢の絶体絶命の窮地に駆けつけるのが、騎兵隊だった。

当時白黒テレビだったので、よくわからないが、騎兵隊のシンボルカラーの黄色いスカーフをたなびかせながらだったのだろう。

小さいときは、そのかっこよさに憧れたことを良く覚えている。

僕がボーイスカウトにはいったのもそうしたかっこよさに憧れてのものだったに違いない。

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最近のニュースを見ていると、あまりの滑稽さ、幼さに言葉を失う。

一昨年、このブログを書き始めた時から、進展しているのだろうか。

ロンドンオリンピックでの、韓国サッカー選手の無謀から燃え上がった感がある歴史認識問題。

その間、日本、韓国、中国とも政権が交替した。

その決定過程の中で、国民の世論を背景として、意見が先鋭化したというべきか、拡散化したというべきか。

いずれにしても、米国の国力が相対的に低下し、中華思想を淵源に国力を伸ばす中国、小中華思想で歴史的に従属傾向がある韓国、歴史的に南下政策を推進するロシア、イギリス流にいうならば大陸からの『名誉ある独立』にも似た歴史的に微妙な距離感を保とうとする日本。

新たな国際的枠組みが必要なのはわかるが、もう少し外交努力によりスムーズにできないかと思う。

解決は消耗戦になってきた感がある。

そうした中にも犠牲者は増えていく。

韓国珍島沖の旅客船沈没事故は、発生から10日が過ぎた。

多くの修学旅行中の学生が被害に遭ったという。

その間、日本など諸外国の援助の声が上がった。

しかし、残念ながら、支援はならなかった。

ここにきて、オバマ大統領の訪韓に合わせるように、米海軍の支援が受け入れられるようになった。

しかし、遅きに失したとの悲観的な観測が現実味を持つのではないだろうか。

儒教国家独特の面子を重んじる考え方は、同根の日本人にも理解できる。

しかし、それにより失われるものの大きさを知るべきなのではないか。

犠牲になるのは、これからの若者なのかもしれない。

しかし、日本としても、前回自衛隊の銃弾提供で、韓国の世論に冷たいしっぺ返しをされた感があり、今回の救助支援の申し出も及び腰ではなかっただろうか。

人道的見地から何かできるのでではないか、模索し続けるものでありたいと思う。

今、韓国では、『黄色いリボンキャンペーン』がおこなわれている。

黄色いリボンに込められた意味は、『無事に帰ってくることを祈る』ものだ。

起源は諸説あり、古くは中世のイギリスにあるのかもしれないが、南北戦争、ベトナム戦争など、多くの場合に一つのシンボルとして、多くの人が心を一つにしてきたということに変わりは無いのだろう。

冒頭のアメリカ西部開拓時代、インディアンに囲まれた幌馬車が、騎兵隊を待つシーンが思い起こされる。

象徴的に黄色いスカーフやリボンに込められたそうした願いに思いを馳せる。

僕は、黄色いリボンを胸に抱けるだろうか。

そう有り続ける自分でいたいと思う。

                                  


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楽天優勝に思うこと~斎藤隆の献身 [時事]

引き際には美学がある。

日本人なら好むシナリオだと思う。

しかし、それでもあえて、戦いを挑む人もいる。

チャレンジの賭け金は、過去の栄光ということになることもある。

 

今年のこのブログの書き始めは次の記事だった。

松井選手引退~そして斎藤隆投手は

 

幸いなことに、プロ野球の今シーズンは楽天ゴールデンイーグルスの優勝で幕を閉じた。

松井稼頭央選手と斎藤隆投手は、優勝請負人として持ち味を発揮して優勝に貢献した。

 

私は、楽天ファンではないが、今回の楽天優勝は嬉しい。

震災の爪痕残る東北のチームの優勝は、誰しも納得できるものだったのだと思う。

 

斎藤投手の今季の成績は、3勝0負4セーブだった。

彼のメジャーでの実績から見れば、特筆する数字ではないかもしれない。

クライマックスシリーズも、日本シリーズも、クローザーとして勝利に貢献した。

確かに、全盛期に比べるまでもなく、手元で跳ね上がるようにホップするボールこそなかったが、丁寧にコーナーをつく配球はさえた。

 

しかし、彼の今季の貢献は、数字ではない。

いや、マウンド外でこそ彼の力は発揮されたのかもしれない。。

楽天ブルペンを支える優勝請負人・斎藤隆の献身

 

生まれ故郷で初優勝をーー斎藤隆43歳、魂のマウンド

 

斎藤には優勝への秘めたる思いがあった。

楽天を牽引する43歳 斎藤隆が胸に秘める被災地への思いとは

 

彼は、東北大震災の無念さをはらす責務を自ら課していたのだろう。

そういう意味でも、楽天優勝は、彼がこれまで日米で味わった勝利に勝るものだったに違いない。

 

東北復興への希望の光となった今、来季、ブルペンから見つめる斎藤の視線の先には、楽天の若手投手の今季以上の活躍が映ることを期待している。


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風が吹けば桶屋が儲かる~桜田淳子さん沈黙の意味 [時事]

20年以上の前のことを微かに覚えている。

1992年の事だった。

朝、出がけに、家内が声をかけてきた。

桜田淳子さんの結婚会見がテレビで放映されていることを受けてのものだった。

突然のニュースに驚きはしたが、軽い返事をしたことを覚えている。

 

それからというもの、桜田淳子さんについては、否定的な報道が相次ぎ、ついには批判報道は確立する。 

もはやバッシングという簡単な言葉では済まされなくなっていた。

 

その後の十年は、統一教会がらみで非難の十年。

そして、芸能界から無視されたかのような十年。

そんなくくりになるように思う。

その時々の浮き沈みはあるにしても。

 

自分自身何も出来なかったにせよ、今に思えば心苦しい時の流れである。

 

桜田淳子さんにある批判の中心を見てみると次のようになる。

  1. 先ずは、統一協会の広告塔であるという批判
  2. 恩師相澤会長への霊感商法に関わったのではないかという批判
  3. 統一協会によりマインドコントロールされているのでないかという批判

そのことから、復帰については

謝罪が必要であるという

統一協会からの脱退が必要である

と言う意見がある。

 

それについて、桜田淳子さんの答えは、20年間の『沈黙』だった。

 

その桜田淳子さんが、11月26日(火)極めて限られた空間ではあるがステージに立つ。

様々な思いがこもるが、彼女自ら破る沈黙の意味は重い。

 

それは、『1日限定』しかも来場できるのはCDアルバム『Thanks40』を買った人だけの、おそらくはオールドファンが中心となるのだろう。

この限られたイベントが復活と言えるか疑問ではあるが、一つ言えることは、オールドファンの心に残る彼女のイメージが変わることないものであり続けたかを確認できることにある。

私の思い描く彼女の人間像と現在の実像が何の曇りもなく重なるものであると確信している。

そして、彼女に対する批判の大半が、ありふれた人間像の延長線上のもであり、桜田淳子さんの人間像に迫るものではなかったと思う。

 だから、桜田淳子さん自身、批判に対して『沈黙』が可能だったのではないだろうか。

 

11月26日の『ファン感謝イベント』に向け、雑誌、テレビでは、比較的中立的な報道がなされているように思う。

これまでの、20年間を思うとき、それは、意外だと受け止められているのではないだろうか。

むしろ、これまでの20年間の報道のあり方が異常だったと思うのだが。

 

そこで、進行的ではあるが、少し総括してみたいと思う。

先ず、マインドコントロールという非現実的な批判報道は、中島知子さんの一連の報道以後、さすがに陰を潜めた。

恩師相澤会長への霊感商法への関与は、故相澤会長のお通夜の報道の際に、否定された。

残るのは、統一教会の広告塔という批判なのだろう。

 

そこで、『統一教会の広告塔』という批判の意味を考えてみたいと思う。

 

それは、霊感商法の訴訟と大きく関わり合っているのではないだろうか。

 

日本の『失われた20年間』の功罪の一つに、司法のバランスの喪失がある。

法曹3者の内、裁判官、検察官以外は弁護士への道を選択することになる。

その数は司法改革のあと、うなぎ登りとなる。

 

もちろん、弁護士の増加とともに、『PL法』や消費者保護の関連法、薬害訴訟など、アメリカ的な訴訟社会への布石はうたれ、供給と需要のバランスを試みられたが、未だ十分な状態ではないのだろう。

そのため、今では年収200万円以下の弁護士がざらにいるとの報道が相次ぎ、不正事件も多く聞く。

これは周知の事となっている。

訴訟社会への移行が、弁護士の金銭的ステータスを高めることになるはずだったのだろう。

しかしながら、アメリカ的な『PL訴訟』は、製造者としての企業の負担を重くする。ひいては、輸出に大きなダメージとなる。

そこで、資金力のある企業ではなく、消費者をターゲットにした、訴訟が弁護士の活躍の場となる。

だけれど、消費者訴訟は、一つ一つは比較的少額な訴訟であるが、かかる負担は、大きい。

そのため、法廷闘争を有利に展開するために、社会問題化する必要がある。

 

『悪徳商法』『霊感商法』というのは、そうした法廷闘争にとって有利なものとなる。

 

統一教会、霊感商法、桜田淳子という一連のレッテル貼り(ラベリング)は効果的だった時代がある。

いわゆる『広告塔』の活用であった。

 

そうした、この20年間の弁護士、ひいては訴訟をめぐる流れをみて、次の記事を読んでもらえばよくわかると思う。

紀藤正樹弁護士投稿

信者を駆使し全国的組織的に、#霊感商法 を続ける、あの #統一教会 信者の #桜田淳子 の活動再開に唖然!! しかもそれが、子供たちの夢= #博品館 劇場での2013年11月26日のイベントからとは!>20年ぶり活動再開

 

正直、未だに、20年の時を超え、旧態然の批判には情けなく思う。 

 

落語に

『風が吹けば桶屋が儲かる』

と言うのがある。

現代の桶屋でないことを祈るのだが。

この記事の、中身の問題点については、次回以降綴りたいと思う。


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日本人らしい対応 [時事]

『半沢直樹』が無事終了した。

毎週の楽しみがなくなって、日曜日の夜が味気ないものとなった。

今年の流行語は、『倍返し』といことになるのだろうか。

このドラマの中で、半沢直樹が、自分たちの行為を『大和田常務と同じことをやっているのではないか』と内省するシーンがある。

近来、中国や韓国における反日デモには目に余る行動が目立つ。

その挑発に乗り、同じような行動にでることは、果たして日本人のとるべき立場だろうか。

毎日新聞 社説より

差別許さぬ当然の判決

 

人種差別的発言に一つの方向性が示された。

それが、2013年10月7日の京都地方裁判所の判決なのではないか。

人種差別発言が許されないことは、世界が作り出した現代の常識だと思う。

それは、国連による人種差別撤廃条約を待つまでもない。

法律で規制するまでもない。

国家が強制するにはあまりにもお粗末だ。

今回の判決は、その当然の帰結をどのようなプロセスを経て法体系が受け入れるかの一つの道筋を示したことにあると思う。

『表現の自由』が、自由であろうとするあまり、他者の尊厳を傷つけることがあることを自覚するべきである。

その場合の権利の調整原理として、民法の不法行為という枠内で処理される方向性を判決は示した。

たしかにその場合、損害の認定をしなければならないが、表現の自由を制限するには、やむを得ないと思う。

表現の自由を制限できるのは、『人権と人権』が対立する場面となる。

この判決により『ヘイトスピーチ』が認定されたとし、直ちに規制する法整備をすべきだと短絡的に主張する人がいる。

確かに、正論のようであるが、それにより失われるものが多いことを知るべきであろう。

規制は、間違いなく、萎縮効果を生む。

何が規制の対象で、何が許されるのかの判断を国家に委ねることが危険であることを、日本人は過去経験してきた。

国家が法律により制限することは、自由が謳歌されている現況下では、時代の後退と見なされるだろう。

特に、戦前、戦後の体験者及び、その影響下の教育を受けた者には、将来を危惧することになるのではないだろうか。

京都地裁判決は、現行法の枠内で、人種や民族などの違いに基づく差別は許されないという常識を強調したに過ぎない。

それは、現行法の枠内での解決が可能なことを示したものだろう。

今、左派系の党派を中心として、人種差別に対する憎悪表現を規制する立法の必要性を安易に発言する人がある。

国会議員にしてこの程度かと思うのだが、国家が、個人の自由に干渉することは、必要最小限でなければならないと思う。

さらに、『嫌韓デモ』に対する『カウンター』に積極的に参加する国会議員もいる。

実力阻止は、新たな火種をまくだけで、根本的な解決にはつながらない。

 

むしろ、『失われた20年』に行われた、教育のあり方こそ見直さなければならないと思うし、そうした広告こそが必要なのだろう。

時間はかかるかもしれないが、そこには、民主的なあり方が確かにある。


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東京大行進から思うこと [時事]

世の中が平和になったと言うことなのであろうか。

それとも、平和であることが当たり前だと思える国になったのだろうか。

そんなことを考えさせられてしまう。

 

9月22日、東京大行進が行われた。

 

これまでは、『嫌韓デモ』に対するカウンターとして行われていた。

それは、許可を受けた正規のデモに対する妨害としか映らなかった。

しかし、今回は、独立した『デモ』として、外国人に対する平等な取り扱いを主張した正規のデモである。

 

憲法14条では、国民は法の下に平等であると説く。

そこから導かれる文理解釈は、国民に与えられた権利であること、法の下の平等である、ということなのだろう。

そこからすぐに、日本国民以外の人を日本人と同じ取り扱いをすることは導かれないし、後段の差別されない権利にしても同じであろう。

今回のデモは、韓国人などの外国人に対する救済的なものであろうから、それは、憲法の直接意図するモノではない。

それは、立法政策の問題である。

今回のデモはそうした立法府に対する要請として意味を持つ。

それは、税金をどのように配分するかと言うことだからである。

 

次に、今回のデモが、『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約

で、規定する条項についての政府の対応を求めるというモノであれば、その価値がある。

日本も批准しているが、条約をどこまで国内法として立法化する問題となる。

 

各論的には、『ヘイトスピーチ』をどう取り締まるかというこことになるのであろう。

自由を標榜するアメリカは、『言論の自由を妨げない』という留保をつけているし、日本も『集会、結社及び表現の自由その他の権利」の保障と抵触しない』という留保をつけている。

アメリカでも、日本でも、表現の自由については、高度な保障がされており、制限する立法は違憲と判断される恐れが高い。

有識者は、そのことの危惧を理解している。

しかしながら、今回の『東京大行進』は、平穏裏に行われ、国内的にも一定の評価を受けるし、諸外国にも評価されることだろう。

特に、今の日韓関係、日中関係をみるとき、そのことの方が、貴重なのかもしれない。

 

韓国や中国において、いかに目を覆うような反日デモが起きても、同じようなことを日本国内で行われることには嫌悪感を感じる。

『目には目を』というのは、文化国家のすることではないと思う。

そういう意味では、『嫌韓デモ』とはいえ、正規の手順を踏んだデモを妨害することには反対であるが、国民のなかから、正規の手順を踏んでわき上がるデモには敬意を表する。

ただし、まじめな主張が、特定のイデオロギーと結びつかないように、デモが一人歩きしないように、そして、憲法改正の口実にならないように、見守りたいと思う。


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