東京大行進から思うこと [時事]
世の中が平和になったと言うことなのであろうか。
それとも、平和であることが当たり前だと思える国になったのだろうか。
そんなことを考えさせられてしまう。
9月22日、東京大行進が行われた。
これまでは、『嫌韓デモ』に対するカウンターとして行われていた。
それは、許可を受けた正規のデモに対する妨害としか映らなかった。
しかし、今回は、独立した『デモ』として、外国人に対する平等な取り扱いを主張した正規のデモである。
憲法14条では、国民は法の下に平等であると説く。
そこから導かれる文理解釈は、国民に与えられた権利であること、法の下の平等である、ということなのだろう。
そこからすぐに、日本国民以外の人を日本人と同じ取り扱いをすることは導かれないし、後段の差別されない権利にしても同じであろう。
今回のデモは、韓国人などの外国人に対する救済的なものであろうから、それは、憲法の直接意図するモノではない。
それは、立法政策の問題である。
今回のデモはそうした立法府に対する要請として意味を持つ。
それは、税金をどのように配分するかと言うことだからである。
次に、今回のデモが、『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』
で、規定する条項についての政府の対応を求めるというモノであれば、その価値がある。
日本も批准しているが、条約をどこまで国内法として立法化する問題となる。
各論的には、『ヘイトスピーチ』をどう取り締まるかというこことになるのであろう。
自由を標榜するアメリカは、『言論の自由を妨げない』という留保をつけているし、日本も『集会、結社及び表現の自由その他の権利」の保障と抵触しない』という留保をつけている。
アメリカでも、日本でも、表現の自由については、高度な保障がされており、制限する立法は違憲と判断される恐れが高い。
有識者は、そのことの危惧を理解している。
しかしながら、今回の『東京大行進』は、平穏裏に行われ、国内的にも一定の評価を受けるし、諸外国にも評価されることだろう。
特に、今の日韓関係、日中関係をみるとき、そのことの方が、貴重なのかもしれない。
韓国や中国において、いかに目を覆うような反日デモが起きても、同じようなことを日本国内で行われることには嫌悪感を感じる。
『目には目を』というのは、文化国家のすることではないと思う。
そういう意味では、『嫌韓デモ』とはいえ、正規の手順を踏んだデモを妨害することには反対であるが、国民のなかから、正規の手順を踏んでわき上がるデモには敬意を表する。
ただし、まじめな主張が、特定のイデオロギーと結びつかないように、デモが一人歩きしないように、そして、憲法改正の口実にならないように、見守りたいと思う。
参加することの意義 [時事]
クーベルタン男爵の言葉に
『オリンピックは参加することに意義がある』
という、あまりに有名な言葉がある。
これは、今から100年以上前のオリンピックで、イギリスとアメリカが陸上競技の覇権争いを繰り広げていたときに発せられた言葉であると言われている。
勝負への度を過ぎたこだわりへの警告なのだろう。
勝負事は勝たなければ意味が無いのか、そのことに一石を投じた言葉だった。
しかし、この有名な言葉にも、新しい意味が込められてしかるべきだろう。
2020年東京オリンピックが開催される。
沸き立つ陰で、福島では原発問題でゆれ、汚染水問題が世界を駆け巡った。
総理大臣の発言が、オリンピック誘致の決定打になったとの見方が強い。
事態は『コントロールされている』という言葉は多義的だ。
しかし、結局相手に伝わるのは熱意であり、その目に見えない、耳に聞こえない空気が、オリンピック委員の投票行動に表れたものだと思う。
東京オリンピック開催まで7年、その間、安心・安全な東京、そして日本を実現しなければならない。
それが、国際的な公約と言っていいと思う。
『オリンピックは参加することに意義がある』
このことの意味を、国民である以上真剣に受け止めなければならないのだろう。
今、日本社会の常識が試されようとしている。
原発問題、従軍慰安婦問題、竹島・尖閣領有権問題、拉致問題、北方領土問題、などの国際問題にとどまらず、いじめや失業対策など旧態然の問題の解決も枚挙にいとまが無い。
国内的な議論が必要なのだろうが、7年計画で、一つ一つの問題を解決して欲しい。少なくとも、解決への確かな手応えを実感できる世の中であって欲しいと思う。
毎日新聞 2013年09月10日の社説
私は、幼少期の1960年代、青春期の1970年代を経験して、確かにその時代特有の風があったように思う。
それもひとえに、先輩たちが、戦後の復興を乗り切り、アメリカを目指し、そして豊かな日本にしてきた。貧しくても、明日への希望があり、『いつか見ていろ』という気概があった。
それが、今も心の中に残る。
次の東京オリンピックで、今の子供たちが、さらに50年後、その思いを抱けるだろうか。
参加することに意義がある。
それを実感できる東京オリンピックであれば、それにまさる成功は無いと思う。
東京五輪開催に思う~円谷幸吉は生まれるか [時事]
小学校4年生の時だったと思う。
国語の授業で、アベベ選手の活躍が教科書に掲載され、クラスで議論したことがある。
エチオピア出身であることや
はだしで走っていたこと
などしか記憶にないのだが、エチオピアの英雄として紹介されていた。
授業は、意味段落をどこで切るかという、事だった。
クラスのほとんどは、アベベ選手の東京オリンピックゴールシーンを一つの意味段落ととらえ、円谷選手のゴールシーンはアベベのゴールシーンに含まれ一つの意味段落になるととらえていた。
クラスで、アベベ選手と円谷選手とは、別の意味段落だと主張したのは、当初僕だけだったが、その後、親友がたぶん同情だろうが、反対に回ってくれた。
その日の授業の大半は、説得だった。
穏やかな賛成派の声は小さくなっていったのを覚えている。
頃合いを見て先生が、いさめるように小さな僕を諫めた。
僕には、そこで意味段落をきると、全体の段落構成のバランスが失してしまうことはわかっていた。
それでも、円谷選手のゴールシーンをおまけ的に扱うのには抵抗があった。
本来なら、国語の教科書に載るのは、国民的英雄として、円谷選手でも良かったのかもしれない。
しかし、既に、円谷選手は自殺していた。
これは、最近知った事である。
僕は、自然とナショナリズムが芽生えていたのだろう。
そしてそれが、小さな議論をゆがめていたことを思い出す。
東京オリンピックは、保育園の時テレビの前にならんでみんなで応援していた記憶しか無い。
微かに残る記憶は三宅選手の怪力位だったろう。
あれから、半世紀近くになる。
2020年東京オリンピックではどんなドラマが待っているのだろう。
そして、ぼくは感動する感性を維持しているのだろうか。
今の状況は、1964年の時とは異なる。
あのときは、日本が上を向いて歩いていた時代だ。
今はうつむいて歩く人が多い。
開催国として、心の準備をしていかなければならないだろう。
変なナショナリズムに偏ることなく、どうどうと振る舞わなければならない。
日本国憲法前文に、日本国民は、『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』とある。
今こそそれが、試されるときではないかと思う。
しかし、オリンピック開催決まった日、再び、新大久保では、『嫌韓デモ』が始まり。そして『カウンター』が応戦する。
中国や韓国で、半日デモが日常的なのはわかるが、いかにも稚拙ではないだろうか。
これでは、『名誉ある地位は』得られないと思うのだが。
日本に、2020年という目標ができた今、『名誉ある』国民としての自覚をしていきたいと思う。
最後に9月8日付けのTBSニュース
出来ることには限りがあるが、小さくとも、心がけは持ちたいと思う。
嫌韓デモとカウンター~倍返しなのか [時事]
テレビドラマ『半沢直樹』が高視聴率となっている。
我が家でも、一家揃って見ている。
お茶の間が帰ってきた。
日本人には、こうした『水戸黄門』的なドラマが合っているのかもしれない。
わかっていても胸がすく思いだ。
ところで昨今、新大久保での『嫌韓デモ』とそれを迎え撃つ『カウンター』が話題になることがある。
幸い、東京オリンピック招致に影響されることはなかったが、この攻防をどう考えればいいのだろうか。
まずは、このニュースから
ニューズウィーク日本版 7月30日号掲載
この記事の投稿者はフランス人で、そういう形で世界に発信してもらえば日本人としてホッとする。
このカウンターの人たちの勇気ある行動には敬意を表するのみなのだろう。
しかしながら、手放しに喜ばない内容だと思う。
日本はアジアでは最も進んだ法治国家である。
それが、日本の安定した秩序を守ってきたといっていいと思う。
そこで、考えてみたい。
『嫌韓デモ』の主催者は、公安委員会への届け出を済ませている。
そういう意味では合法的なデモである。
デモ事態は、表現の自由の一形態として、憲法上保障されており、それを妨げれば、その行為は違憲と判断される。
制限すれば、憲法違反の疑いがもたれる。
合法的なデモを妨げれば、しかも届け出なく阻止すれば、憲法違反にあたる。
民間人なら、憲法の直接適用は免れるだろうから、あとは個別の法律が適用されることになる。
そうした個別の法律を通じて憲法の条文が間接適用されたこになる。
しかし、カウンターに国会議員などの権力側がいる場合、直接憲法違反の問題が生まれるのではないだろうか。
まして、カウンターの数が圧倒的に多く、デモ参加者を圧倒するモノとなれば、カウンターの違憲性・違法性はさらに強まる。
改めるまでもなく、日本は法治国家である。
合法的なデモを実力行使で阻害するのなら、正当防衛、緊急避難などの違法性が阻却されるような場合に限られる。
そうでないなら、警察も含めた司法関係の手に委ねなければならないのだろう。
それなくして、実力阻止が公然と認められれば、法治国家の根幹を揺るがしかねない。
『嫌韓デモ』側に比べ『カウンター』側の力関係が圧倒的に多い状況に鑑みて、カウンター側が何がしかの防衛に出た行為であるにせよ、過剰なモノと言わざるを得ない。
まして、インターネットを介して、デモに対し、事前に『カウンター』の結集を謀るなら、それは過剰なのではないだろうか
それに国会議員たる有田芳生氏が関与しているという。
表現の自由を保障する憲法に抵触する疑いがあると思う。
それは、もはや正義ではない。
『やられたら、やり返す。倍返しだ。』
そんなかっこいいモノではない。
有田氏は、『嫌韓デモ』を『レイシシスト』と呼び、方法を『ヘイトスピーチ』という。
まさに、ラベリング(レッテル貼り)そのものになろうとしている。
有田氏はこれまでも、相手を煽った挙げ句レッテル貼りを行い、マスコミの注目を浴びたことがある。
ニューズウィークが報道しているようなのモノならば、それは、個人の問題にしておいていいのではないだろうか。
そして、警察を始め、裁判所の判断をまつべきであると思う。
もし、法の不備があるのならば、すぐに国際条約加盟に駆け込むのではなく、国内的な法律の整備を行うべきであると思う。
それが、国権の最高機関たる議会の構成員である国会議員の職責なのではないだろうか。
『カウンター』を募り、実況中継するために、税金を払っているのではないと言うことを付け加えておこう。
それが、国勢調査でという名目であっても。
音楽の力~ピースとハイライト [時事]
サザンオールスターズが、5年ぶりに復活した。
5年ぶりのライブに7万人が熱狂した。
サザンと言えば、今から36年くらい前になるのだろうか。
オールナイトニッポンで『勝手にシンドバット』を聞いたのが最初だった。
当時流行した、『勝手にしやがれ』と『渚のシンドバット』を掛け合わせた曲名で、お笑いのネタかと思った位で、まさに流行のパロディーのような曲だった。
それから、幾度かの休止を経て、今回新曲『ピースとハイライト』をリリースした。
今度の風刺は非常にデリケートな問題を含んでいる。
むしろ、過剰にデリケートになってしまったと言う方が的をえているのかもしれない。
『ピースとハイライト』の歌詞を読んで、明らかに日韓関係を揶揄しているのがわかる。
表現が直接的過ぎるのではないかと思うくらい。
この曲が世に出て、オリコントップになった。
その意味を考えてみようと思う、
歌詞の中で気になる単語をピックアップしてみる。
対話(はな)し
歴史
大義名分(かいしゃく)
上記3つの単語の意味するところは明確だ。
しかし、現在問題の解決の糸口を見いだすことは難しい。
対話が大事なのも、歴史を踏まえた認識が大事なのも、わかる。
そもそも日本、中国、韓国は、ともに統治の仕組みとして、儒教を尊んできた。
日本では、支配層である武士の教養として、中国では科挙の試験問題として、韓国でも同様に、支配層の教養として、儒教の考え方は、国家の枠組みとして制度を維持するのに好都合だった。
大義名分は、そのような儒教とくに朱子学の核心的テーマだったことから、重要視され、転じて、現在では面子とかたてまえを重んじることを指しているようである。
そのことが、問題を複雑化している。
文化的に共通性をもちながら、何故に反目するのだろうか。
それは、きわめて政治色が強い問題となる。
本題に戻すことにしよう。
サザンの『ピースとハイライト』について、政治家により宣伝がされている。
芸能にとっては、非常に不幸なことと言わざるを得ない。
確かに、芸能にはかつて、時代を支える力があり、時代を貫く力があった。
反戦の歌も多く歌われた。
社会に警鐘を鳴らすこともあった。
しかしながら、結果的にわき起こることと、政治的利用とは別の問題だと思う。
今から20年前、桜田淳子さんは、統一教会の合同結婚式に参加して、物議を醸したことがある。
統一教会に対する批判は、宗教色と言うより政治色が強い。
むしろイデオロギー性に由来するところが大であることは、『何をか言わんや』イデオロギーの終焉で検証してきた。
そして、過度に加熱した報道により、政治論争に巻きこまれることを、芸能界は恐れた。
結果、一つの才能を葬ることになる。
僕は、それが合同結婚式の大バッシングの正体だと思う。
再び、僕らの大好きなサザンの曲を政治利用されることは避けなければならない。
それは、政治能力の無能を示すことにもなりかねない。
日本、中国、韓国の冷え込んだ関係は、政治の力で、叡智を集めて解決すべき問題である。
政治に携わる人は、野党といえども、このことから逃げないでもらいたいと切に望む。
音楽の力を引き出すためにも。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
歴史の修正力~桜田淳子さんを忘れざりしや [桜田淳子]
『歴史』というものは、どこまで続くのだろうか。
『時代』というものは、どこまでうつろうものなのだろうか。
『世相』というは、どこまでわがままなものだろうか。
そんなことを感じさせる次のニュースだった。
また、繰り返されたの念がある。
『何をか言わんや』
実は、昨年8月ロンドンオリンピックに端を発した竹島問題から、強い問題意識を持った。
しかし、何から書くべきかと思った。
ブログのタイトルは、すぐに決まった。
いささか反語ではあるが、なにを言おうか、言うことがなにもない。あきれてなにも言えない。
まさに、そんな気持ちだった。
それから日々のニュースを追いかけたりした。
いつも行き着くのは、『この失われた20年』だった。
下がる一方だった。
国力も、国際的地位も、経済力も、名誉も・・・。
これは、政治の話ばかりではない。
芸能界とて、質・量とも変わり果てたように思えてならない。
これまで、働くだけ働いてふり向くことを忘れていた私には、価値観がこれほど変わったかとさえ思った。
本来このブログ作成のきっかけは、桜田淳子さんのあまりに低い評価と誤った先導への疑問だった。
むしろ、桜田淳子さんの功績も存在さえも失い欠けていたことへの抵抗だったかもしれない。
仁・咲さんの手紙
しかしながら、一見、やむを得ないのかなと思えていたが、時代を青春時代の70年代くらいまで遡れば、微かだけれども違和感が生まれた。
そこから、様々な現象との思索の戦いが始まった。
芸能問題にとどまらず、政治問題、経済問題などなど、自分の経験を頼りにただひたすら考えた。
そうすることにより、いつか自分なりの駅に到着すると思えた。
もちろん、たまたま読んでくださる人に押しつけるつもりはない。
ただ考えてもらえば十分だった。
そういった意味では、このブログの一つ一つの記事は、結論というより問いかけにすぎない。
その間、昨年12月の衆議院選挙、今年6月の東京都都議選挙、7月の参議院選挙があった。
1992年従軍慰安婦訴訟を提起した福島瑞穂さんは、社民党党首を引責辞任した。
アメリカとの同盟関係から距離を置きアジアに傾いた鳩山由紀夫さんは、民主党を追われるように去った。
菅直人さんは国策を誤ったと批判され、政党政治の本質を誤っているとして党から問責されている。
有田芳生さんは、イデオロギーの強さのあまり、政治活動もままならないような状況になっている。
宗教がらみでは、統一教会の文鮮明氏は死去し、分裂の危機にある。
もちろん、これらの人は、賛否はあるだろうが、何かに立ち向かった人であるし、そういう意味では私のような凡人が語るべきでないかもしれない。
それでも、僕には『失われた20年』を見直せれば十分だったし、桜田淳子さんの功績を将来まで残せればそれで十分だった。
そして、僕は、亡相澤会長のお通夜での桜田淳子さんへの気遣いを見て、歴史に修正力があることを確信した。
桜田淳子さんとともに成長できてよかったと思える自分をここに記しておこうと思う。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
桜田淳子さんのブログ記事雑感~昭和アイドル再々考 [桜田淳子]
昨年8月15日『昭和アイドル再考』として、結びにこんなことを書いた。
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芸能界に革命をおこした、桜田淳子と山口百恵を語らなければならない。
しかし、二人の幕引きは、誰の目にも余りに対照的に思える。
山口百恵が神格化したかのごとく扱われるのに対し、桜田淳子は『堕天使』の扱いだ。
仲のよい二人を分けたのは、運命のイタヅラと大人の思惑だったように思う。
現代まで通じる問題を、次回から不定期ではあるが、桜田淳子を中心に考察したいと思う。
(敬称略)
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こんな記事だった。
山口百恵さんは、結婚により引退、松田聖子さんは、未だに歌謡界のトップスターにいる。
酒井法子さんは自らの責めとはいえ、いまでは復帰し歌を歌えるまでになっている。
桜田淳子さんは、恩師の故相澤会長と最後の再会を果たし、芸能界、関係者、ファンに姿を見せ、その存在の大きさを改めて僕らに示してくれた。
僕のこのブログは、果てしなく続くと思っていたが、思いがけなく最終章を迎えることになった。
2013年3月18日
『ブログ記事雑感~なぜ桜田淳子さんの記事を書くのか』
と題して、こんなことを書いた。なぜこんなことを書いたのか未だにわからない。
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僕は、桜田淳子さんという個性を尊重している。
その個性の尊重が、たとえ今の時代の問題点を洗い出そうとするものであるのならば、それでもかまわないと思っている。
これ以上間違えようのない今を思うとき、その気持ちを強くする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と書いた。
そして、マインドコントロール問題と、レッテル貼り(ラベリング)に、挑戦した。
中島知子さんの現在進行形の問題に切り込むことは勇気が必要だった。
失敗すれば、このブログを書いた意味をすべてを失うことになる。
そんな、覚悟のことだった。
幸運にも、予測したとおりになった。何かが力をくれたとしか思えない。
それから、桜田淳子さんの登場とTV、スポーツ紙の評価と続く。
一つの事実の前に、すべては書き換えられる。
このブログはすでに役割を終えたと思っている。
これからを予測することは難しい。
しかし、『朝の来ない闇夜はない』
漆黒であれば、夜明けはより目映さを増す。
僕は、そう信じている。
このブログの最後に、桜田淳子さんのご子息、ご令嬢に申し上げたい。
桜田淳子さんの輝きの時代は、多くの人に希望と勇気を与えてくれたことは間違いない。
僕たちは、青春時代を正しく送ることはできたし、十分に満足している。
そのことにはいつまでも感謝している。
このブログの続きを書くことはないし、考察を加えることはない。
それを望んでいる。
追伸
最後に、他のブログ同様、作成に当たっては、多くの方の記事、動画を引用させていただいたことに改めて感謝いたします。
また、様々な不都合により、これらの記事、動画が引用不可能となっても、記事の訂正は行いませんことをご容赦ください。
そして、都合により、ブログの公開を中止することもあります。
イデオロギーの終焉その5 [時事]
『失われた20年』を読み解こうとするとき、思うことがある。
私が青春時代を過ごした1970年は、厳しいイデオロギーの対立が色濃く残る時代だった。
だからこそ、今の問題を考えるときその陰を見ることができる。
1960年代は、安保闘争から学生運動が血気盛んなときだった。
僕は、安田講堂に放水される様を見て父に尋ねたことがある。
『大学ってこういうところなの』と。
そして、三島由紀夫の割腹自殺に関する一連の報道をみて、この時代劇みたいなことに驚いた。
また、浅間山荘に鉄球がぶつけられる様を見て、目が釘付けになった。
日本は文明国ではなかったのかもしれない。
というより、現代社会が抱える矛盾の象徴だった。
現代社会の抱える矛盾。
それは、個人と社会をどうとらえるかの枠組みの問題だった。
資本主義と共産主義という二つのイデオロギーは、マルクス理論からソビエト連邦の出現により現実のものとなった。
1960年ダニエルベルの『イデオロギーの終焉』により、資本主義社会の豊かな進化とともに、共産主義は終わりを告げるだろうと、知識人は考えていた。
日本は工業化のつけとして、公害問題という代償を支払わされるが、克服して、『ジャパンアズNO.1』といわれるまでになった。
日本は、資本主義を進化させていくことにより、現代社会の抱える矛盾と戦ってきた。
それは、観念での議論ではなかった思う。
実績としての勝利だった。
しかし、何も解決してはいなかった。
問題があるたびに、イデオロギー問題がチラチラし始める。
一例を挙げる。
中島知子さんの問題を受けてのものだ。
この文章を読むとき、有田氏と苫米地氏は決して折り合うことはないと思う。
だから、このブログではコメントをすることを差し控える。
書いてあることがすべてだと思うからだ。
しかし、なぜ、名誉毀損という問題までなるのだろう。
その背景には、イデオロギーの問題があるからだろう。
ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の崩壊という現実は、共産主義国家の崩壊を意味したが、理想国家へ昇華するはずだった国家は、資本主義に敗北したにより、それを信じる者を、資本主義的枠組みの中に抱えることとなった。
そこから、資本主義が迷走し始める。
共産主義の克服という命題がある限り、一つのまとまりを持っていた資本主義が、複雑に分岐することになる。
このことを、伝える記事がある。
この記事が指摘するごとく、『歴史認識』問題を引き起こしたのは、1992年の朝日新聞だった。
『静かな湖畔に石を投じる必要があったのだろうか』
投げ込んだのは日本人だった。
ジャーナリストは事実を伝えるのが使命である。
しかしながら、あいまいな記事と評価が加えられている。
ここから、迷走が本格化し、『失われた20年』が幕をあけることになる。
まさに、理念無きイデオロギーの対立である。
答えなど無い。
あるのは、国家、国民を巻き込んだ憎悪だけだ。
同盟関係のはずだった日本と韓国の間に深い爪痕を残してしまった。
平和条約とともに終わったはずだったのに。
日本と韓国の亀裂により、漁夫の利を得るのは、北朝鮮ということになるのだろう。
しかしながら、今の日本と韓国の関係を見るにつけ、引けない問題となってしまったことのつけは重い。
それは正しいとか間違っているとかいう問題ではない。
それでも、マスコミは無責任な報道を繰り返すのだろうか。
無責任な芸能人の口を借りてまで。
マインドコントロールというラベルその2―樹木希林さんの慧眼 [時事]
小学生の頃、毎回見ていたドラマに、『時間ですよ』がある。
まだ、白黒テレビが主流だった時代(1970年)のことだ。
森光子さん、船越英二さん、樹木希林(当時悠木千帆)さん、大空真弓さん、松原智恵子さん、川口晶さん、堺正章さんなど、今思えば、芸達者な人が多かった。
そのなかで、樹木希林さんは番組に欠かせない存在だった。
その彼女が、中島知子さんの問題で語っている。
先ず、彼女から出たのは、これから先を案ずる言葉だった。
3月31日デイリースポーツニュース
それから、報道されたのが次の記事だ。
5月4日デイリースポーツニュース
何れも、テレビインタビューを受けてのものだった。
この二つの記事とも、樹木希林さんは、洗脳については触れていないにもかかわらず、記事中では、括弧書きの引用の後、樹木希林さんが、脱洗脳を認めていないように書かれている。
マスコミがどうしても洗脳問題と結びつけたがっていることがありありとうかがえる。
前回ブログで、今の報道は、『事実』と『評価』とが混在している、と書いたが、そうした手法が表われた典型だと思う。
上記樹木希林さんの二つの記事を合わせて読めば、次のように読めるのではないだろうか。
最初のインタビューの後の記事については、将来を案じる事への思いやりがあり、二つ目のインタビューの後の記事については、中島知子さんの強さを知るが故の、突き放したような表現は、『自分で這い上がってこい』という思いがあるように思う。
それが、『わたしの存在は必要ないでしょう』ということにつながる。
この記事を読み、70年代的な感覚を思い出す。
小さい頃、『かわいい子には旅をさせろ』、『獅子は我が子を千尋の滝に落とす』とかいうことがよく言われた。
僕は、樹木希林さんの記事はそういう文脈で捉えるべきものだと思う。
樹木希林さんのあの実直な人柄は、決して人を上辺だけで見たり、他人の評価に惑わされる人ではないことを、僕らは感覚的に知っている。
中島さんの手紙を見ただけで、本質を捉えた感性は、長年の役者生活から生まれたものなのか、持って生まれたものなのかはわからないが、慧眼だと思う。。
その彼女が、マインドコントロールなり、洗脳などという、人の評価としてはあいまいな言葉に逃げ込むことは考えられない。
それに比べ、芸能マスコミが、いまだに『洗脳』やら『マインドコントロール』という安易な言葉に逃げ、物事の本質を捉えようとしないのなら、まだまだトンネルは続くのだろう。
そして、その言葉でしか視聴率や部数が稼げない報道には情けなく思う。
中島知子さんの問題について、僕は賛成でも反対でもない。
しかし、今回の中島知子さんの問題は、マスコミが、『洗脳』『マインドコントロール』という不確かな概念を使い、本質を見誤らせる事についての警鐘のように思う。
中島さんが再び表舞台に出てから、1ケ月が経過した。
一進一退を繰り返しながらも、中島知子さんの問題は、先が見えてきたのかも知れない。
フログなどで、発信できることが大きく寄与していると思う。
今思い返せば、20年前、桜田淳子さんがバッシングを浴び、それまでの彼女の貢献が風化させられたことが、思い起こされる。
あの時と、決定的に異なるのは、ネット社会になったことだろう。
情報発信が、マスコミに独占されなくなったことにより、多くの批判にさらされる。
そして、いろいろな意見が飛び交う。
あふれた情報の中で、正しい認識が求められるように思う。
今なお信じ続けるファンがそうであるように、僕は桜田淳子さんを信じている。
信じることから、真実が得られるものだと思っている。
70年代的解釈が常に正しいとは思わないが、少なくとも、淳子さんの問題を解決するには、70年代的感覚は不可欠だと思う。
それは、過去への回帰ではなく、『失われた20年』への不満ではなく、未来への希望として。
イデオロギーの終焉その4~中島知子さん問題そして桜田淳子さん [時事]
桜田淳子さんはマインドコントロールもしくは洗脳されているのか。
しかし、そもそもマインドコントロールとは何かを考えることは、このブログ作成を始めるにあたっての大きなテーマだった。
しかし、構想はあっても、主張するには材料が少なすぎた。
ブログが、いかに個人的なものとはいえ、公開する以上、そしてこれまでの半ば確定した方向性に向かうことは大きなリスクを伴うものであった。
苫米地英人氏の次の記事は、ほぼこれまでのこのブログで語ったことを証明してくれているように思う。
4月19日
『オセロ中島騒動のキーマン苫米地氏独占インタビュー中島さんは洗脳されてない』
この記事が語るものは多い。
洗脳とかマインドコントロールがそうたやすくできるものではないこと
テレビのジャーナリストの食いぶちになっていること
それは左翼ジャーナリストが演出していること
そして、マスコミのえん罪で人権問題であること
すこし、公のインタビューにしては、過激な発言が並び、マスコミ関係者にとっては耳が痛いだろうが、一般感覚では納得いく記事ではないだろうか。
1992年、桜田淳子さんらが合同結婚式に参加した後、マインドコントロール、など、間違った理解をされてきたことの土台が確実に崩壊してきたように思う。
あの事件から始まった『失われた20年』の崩壊の序曲であることを信じたい。
そして、芸能界が、芸能マスコミに縛られず、本来の機能を取り戻し、個性ある、自由なアイドルをはじめとする活気あるスターが再び誕生することを祈る。
これまでの苦難を切り抜けるのに、政治の役割より、活力ある芸能界が大きな役割を果たしてきたことは、このブログでも書いてきた。
戦後の混乱のときもそうだし、オイルショックの時もそうだった。
今の苦難を乗り越えるには、芸能界の役割は欠かせない。
そのためには、個性を失わせるような、少数の芸能事務所が取り仕切る芸能界にしてはいけないのだろう。
私は、70年代、青春時代を過ごしたものとして、幾多の大事件があったにもかかわらず、70年代は明るい活力ある時代だったように思う。
そのときの芸能界の活力は今に思うと、芸能人の個性のオンパレードだったし、テレビ界もスタッフも、そしてファンも参加してのものだったように思う。
桜田淳子さん、山口百恵さんら個性あるアイドルたちがブラウン管を賑わわせ、子供はピンクレディの振り付けのまねをして遊んだ。
それは決して、現実を逃避したのではない。
現実に向き合ったつかの間のひとときを彼女らと過ごしたのだ。
個性ある芸能人が、癒やしてくれる日はくるのだろうか。
そのためには、芸能誌者をはじめとした、マスコミの協力的態度、前向きな支援は欠かせないと思う。
中島さんの今回の騒動をきっかけとして、そういう機運が盛り上がることを希望する。