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マインドコントロールというラベル~中島知子さんの問題 (補足) [時事]

物事の本質を見極めようとするとき、そして表現しようとするとき、事実と評価とは分けて考えるべきではないだろうか。

そうでなければ、評価者の評価内容が、事実として受け止められてしまうからだ。

しかしながら、マスコミ特に芸能マスコミの記事は、事実と評価とか混在しているばかりでなく、編集方針の名の下に、評価は決定されており、そのための都合のいい事実だけが集められている気がしてならない。

なかには、どう考えてもつじつまの合わない事が事実として語られていく。

その歪みを直しながら読むのは、実に骨の折れる作業だと思う。

読者が、苦労しなければ読み解けない記事とは何なのか。

結果として、砂上に楼閣化した記事は、いつの日か一つの事実により無残に崩壊することがある。

 そういった意味で、前回紹介したが、中島知子さんの問題に対して、苫米地氏のテレビでの発言は重要な転機だったと思う。

 4月11日、お互いの円満な話し合いにより『オセロ』は解散となった。段取りをしたのは、所属の松竹芸能だった。

 中島さんがマインドコントロースされてないとの報道がされてからのすばやい幕引きだった。

今後は、所属プロダクション抜きで、中島さんの話題が語られることとなるのだろう。

芸能界としては、収束を早めたのかも知れないが、これでハッピーエンドにできる内容ではないと思う。

そもそも、今回の騒動の発端は何だったのだろうか。議論はマインドコントロールに集中したのでないのだろうか。

そしてマインドコントロールの典型事例のように報道されたのではないだろうか。

そのことを検証する上で、ネット上の記事ではあるが、次の記事は参考になると思う。

2012年2月27日の記事

『売名に、視聴率アップに!とことん利用されるオセロ中島の“洗脳”騒動』

この記事の中で、『報道されてることにウソも多い。本人に会ってもいない政治家が洗脳されたとテレビでペラペラ喋りだしたことの影響も大きくて』といい、実名が挙げられている。

この記事は正しいところをついているのだろうか。

 そこで、ネットでは容易に検索する事ができる記事を集めてみた。

2012年2月16日『オセロ』中島知子さんに寄生する悪質霊能者の過去

2012年2月17日『オセロ』中島知子さんを支配する女性霊能者の欲望

2012年2月18日『オセロ』中島知子さん問題の本質は『一人カルト』だ

 

この三つの記事を読んで、今でさえ事実関係はつかめないのに、この時点でどこまで事実関係が明らかになっていたのだろう、と考えさせられる。

それにもかかわらず、最初から、マインドコントロールと決めつけて、中島さんが被害者で、占い師が吸血鬼のような霊能者になっている。

 確かに、一見、中島さんを救出する、ホワイトナイトの記事のように見えるが、私にはマインドコントロールという言葉を周知しようとする意図が感じられる。

 この時点で、『マインドコントロール』、『カルト』と決めつけるだけの証拠があったのだろうか。

しかも、面識のない相手に対して。

 最初から、答えは決まっていたとしか思えない。

 マインドコントロールされているという評価が先行していると思う。

著者が、一般人ならたわいもない話とも受け止められようが、元ジャーナリストで現職の国会議員ともなれば、権力者であるから調査能力はあり、一般人への人権など高度な配慮が必要になるという前提での話だ。

ブログの中で、著者の有田芳生氏はいう。

『報道がようやくマインドコントロール問題として扱うようになってきたことは前進だ。』という言葉で、記事は結ばれている。

 『前進』とはどういう意味だろうか。

僕には、『マインドコントロール』という言葉の周知こそが問題で、中島さんの問題の解決に、心はないように思えてならない。

『前進』とは、マインドコントロールという言葉の一般化を指すようにしか思えない。

 

以前書いたが、今から、20年前の桜田淳子さんのバッシングでのことが二重写しになる。

あの事件では、芸能マスコミは一体となって、『霊感商法』、『カルト』という言葉を一般化し、ラベルとして貼り付けることに成功したかも知れない。

しかしながら、それにより、真実の解明が遠のいたのではないだろうか。

ラベリングの怖さは、単に人を封じ込めるだけではなく、その言葉によりあたかも全て証明され尽くされたかのような錯覚に陥る効果にある。

以後、『マインドコントロール』は何の検証もなく、だれでも使うようになり、著しく行動を制約し、個性を喪失してきたのではないだろうか。

 

『洗脳』が、主に共産主義政権下で、思想統制として行われてきたように、マインドコントロールという言葉が今の社会にもたらす弊害は大きい。

 安易に『マインドコントロール』という言葉に逃げ込んで、解決したように見せかけるのは、自由主義的観点からは、理解できない。

 『マインドコントロール』は、心を支配された人の救済として、裁判での法廷戦術として、使用されるのなら理解できる。

それは、裁判官という公平な立場がいるからであり、証拠の提示が担保されているからだ。

 『マインドコントロール』なる不確かな概念を、安易に日常で使用されることには多くの問題があることを理解しなければならないように思う。

芸能マスコミらによる恐ろしきラベル貼りの歴史が、改めて無造作に繰り返されたことを指摘しておきたいと思う。


中島知子さんの問題~ラベリング論その2 [時事]

中島知子さんが3月28日に行った単独インタビューに対して、4月6日所属事務所の処分が発表された。

 

契約解除のようである。


この問題を考えることは、どうどう巡りのパズルを解くような気持ちにさせられる。


そもそも、単独インタービューの直前に所属事務所に専属契約解除の申し入れをしているのであるから、単独インタービューは、覚悟の上でのものと受け止めるのが普通だろう。


所属事務所は、芸能活動再開は『精神状態と健康状態が万全でなく、弊社による継続的サポートが必要』と判断して、引き留めたとのことのようである。


しかしながら、この『精神状態と健康状態が万全ではない』とは、何を意味するのだろうか。


4月5日のこの記事をどう理解するのかにかかっている。


オセロ中島、マインドコントロールされていない!?苫米地氏が見解示し、芸能界復帰はいつでも可能


確かに2013年3月29日にテレビ朝日系「ワイド!スクランブル」の単独インタビューをみて、生活環境や考え方の相違があるのは当然としても、論理展開として違和感はそれほど感じなかったし、言語学的に見て、中島さんの言動はマインドコントロールされているとはおもえないとのことである。

それならば、事務所の発表する『精神状態と健康状態が万全ではない』というのは、マインドコントロール以外のことを示すのだろうか。

そうすると事務所の発表は、感想を述べているに過ぎないようにしか思えない。


しかし、労働問題、契約問題においては、主観で契約を解除することはできない。


そうすれば、今回の契約解除は、『事務所のいうことを聞かないから』ということではないだろうか。


継続契約の場合、それが、すぐさま法的に契約解除理由になるとは思えないが、中島さんの契約解除の申し入れを受けてのものならば、今回の解約は法的には合意解約になると思われる。


とすれば、中島さんの今後の復帰に障害はなくなることになる。


前回述べたが、今回の騒動は、やはり、子供が倉庫に隠れて大人が探しにくるのを楽しむ的な滑稽さがあるのではないだろうか。



しかし問題は、それにとどまらない。


今回の騒動に対し、中島知子さんに芸能マスコミや所属事務所が貼り付けた『マインドコントロール』なるものの正体を見た思いがする。


その正体が、事務所などの方針に従わない事に対し、他からの誘導という便法として、マインドコントロールという言葉が使われたとしたら、恐ろしい人権侵害ではないだろうか。


これが、『ラベリング』というものの、恐ろしさなのだろう。


芸能マスコミなどが、他とは違う行動をする人に、科学的根拠もなく『マインドコントロール』という言葉を使い排除するのならば、芸能人の個性は全て無くなるのではないだろうか。


それは、芸能界の魅力の喪失と、視聴者の楽しみを奪うものだといわざるを得ない。


1992年、桜田淳子さんの騒動で、芸能マスコミが攻撃した事実について、こうしたマスコミのあり方についての積み重ねは、検証材料になるのだろう。


安易に『マインドコントロール』という言葉に逃げ込むのは、物事の解決への道筋を遠ざけるのではないだろうか。

 

『失われた20年間』の間違いがここにもあるのかも知れない。


ラベリング理論~桜田淳子さんと中島知子さん [時事]

桜田淳子さんと中島知子さんと並列すると、洗脳問題。マインドコントロール問題に行きつくようだ。

 3月29日の中島知子さんへのインタビューに関して、様々な問題が提起されている。

家賃滞納が悪いのはわかっている。

それは、民事問題で、大家さんとの関係で決まるそして、本人がわかってやっているのだから、今更、批判するまでもない。

病気が治っていない、という意見がある。

マインドコントロールは医学的に証明されていないという認識なのだが、それを病気というなら、合点がいかない。

 マスコミは、問題が発覚してから、占い師からの洗脳、引きこもり、仕事をしない、家賃滞納 という流れで報道を先行させているのだろう。

 しかしながら、中島さんのインタビューを聴いて、自分の言葉で話しているように聞こえたし、デーブスペクターさんも特段変わった様子を感じなかったようである。

私も経験があるのだが、幼少の頃、保育園に行く途中、通り道の倉庫に半日立てこもったことがある。

 周りを困らせるのが楽しかったのかも知れない。

周りが騒げば騒ぐほど楽しかった。 今回の中島さんの騒動は、どうもたわいのないことのような気がしてならない。

社会学に『ラベリング理論』というのがある。

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Wikipediaによれば、ラベリング理論とは、《逸脱行動》に関する理論であり、1960年代ににシカゴ学派に属するハワード・ベッカー(Howard S. Becker)らによって提唱されたものである。

それまでの、《逸脱行動》を単なる社会病理現象として扱ってきたアプローチとは一線を画し、《逸脱》というのは、行為者の内的な属性ではなく、周囲からのラベリング(レッテル貼り)によって生み出されるものだ、と捉えるものである。

それまでの社会病理学的なアプローチでは、たとえば“髪を染めている者が「不良」だ”などと勝手に定義することによって「《不良の定義》は客観的に成立する」としてしまうような、非常に単純な考え方をしていた。

だが、ベッカーは1963年に初版が発刊されたOutsidersにおいてそうした考え方を排し、

「逸脱などの行為は、他者からのラベリング(レッテル貼り)によって生み出される」と指摘した。

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 この理論に当てはめれば、この問題はこうなる。

 まずは、YouTubeにUPされている中島さんのインタビューを信じる事から始める。

中島さんには、使い切れない収入があり、それにつきあってくれ、相談に乗ってくれる人がいた。

中島さんは、仕事の休みをとるようになる。

マスコミは、仕事をすっぽかした時点で騒ぎ始める。

そして、原因を探し始め、たどり着いた結論が、女占い師の洗脳から、家賃滞納までのプロセスになる。

いくつかある選択肢から選ばれるのは、センセーショナルな見出しと、ミステリアスなストーリーだけだ。

そして、その中島さんの逸脱行為に対して、洗脳またはマインドコントールという桁外れのレッテルを貼り付ける。

中島さんは、あて推量の報道に嫌気がさし、ますます、意地をとおし、殻に閉じこもる。

収入が途絶え、家賃を滞納ようになる。

これがさらに報道とともに、逸脱行為をエスカレートさせる。

いささか、モデル化したが、これが、今回の中島問題にラベリング理論を当てはめたストーリーとなるのだろう。

これは、中島さんを信じるという前提に立つ。

ただ、社会的な逸脱した行為が、ラベリングにより、強化継続されたにしても、それは、中島さん本人の社会的責任が軽減されるわけではないということは、指摘しておかなければならない。

 それにしても、中島さんの逸脱行為は、こどもが倉庫に隠れて大人が騒ぐのを楽しむようなモノだったとすれば、今回の騒動は、いいようのない滑稽さとしか表現できない。

この単純化できる構図に比べて、桜田淳子さんの問題は、思想性が絡むだけに少し腰を付けなければならない。

有田芳生氏の『桜田淳子の芸能会復帰はない』という記事の前後を少し整理してみたい。

 桜田淳子さんは、『アイスルジュンバン』を書き下ろしたとき、社会一般の自分自身に対する否定的評価をもちろん理解していただろう。

 それでも、『アイスルジュンバン』の出版に踏み切ったのは、ある意味、社会的な存在証明であると思う。

 しかし、本来そこに書かれてないにもかかわらず、貼られたレッテルは『統一教会』の広告塔だった。

そして、有田氏により結びつけられたのは、彼が1980年代共産党機関誌『あかはた』とともに、展開した、統一協会をターゲットにした造語『霊感商法』だった。

 『霊感商法』という言葉の社会的認知は、有田氏の功績だと思う。

それゆえ、有田氏はこの言葉にこだわる。

それを、桜田淳子さんにはりつけたのも、1992の合同結婚式以後のことである。

統一協会 ⇒ 霊感商法 ⇒ 桜田淳子

この一連の言葉の結びつきこそ、有田氏を有名にしたといっていい。

 これを、社会学では『ラベリング』という。

 これらのラベリングにより、『アイスルジュンバン』や、2007年2月献花という行為さえ、逸脱行為と見なされてしまう。

 しかしながら、ラベリングこそが、逸脱行為を生み出すものなのだというのがラベリング理論である。

 このラベリング理論は、戦時中は、共産主義者にも貼られていた。

『あか』という一言で語られるのがそれを示す。

そして、公職追放の後に、連合国司令長官の指示の元に、レッドパージへと進んでいく。

 イデオロギーとラベリングが結びつくとき、『追放』ということに結びついてしまう。

そこには、共存はあり得なくなってしまう。

そのことを、歴史の教訓の上に学ぶべきだと思う。

『桜田淳子の芸能会復帰はない』という記事には、1970年代、80年代、統一協会が、勝共連合として、共産主義打倒を目指した、統一協会への有田氏の強い思いがある。

 そのことのイデオロギーがベースになり、ラベリング的手法がとりいれられていることに、この記事の社会学的問題が潜んでいる。

しかし、問題はこれからだと思う。

それだけなら、過去のこと、一人の芸能人のことに過ぎないと一笑されよう。

しかし、前回紹介の、佐野氏が、橋下大阪市長に対して、『ハシシタ、奴の本性』という記事への同調を読むに付け、イデオロギーの根深さを感じる。

 イデオロギーの対立の前に『人権』という視点は後退してしまう。私は、そのことの危惧を訴えたい。

ジャーナリストであろうとするならば、本来戦うべきは、桜田淳子さん個人ではなく、統一協会の持つ根本的問題にあるのではないだろうか。

有田氏が、統一協会の霊感商法を唱えて、30年近く立つ、それでも、何ら解決されないのは、問題にすべき点がずれているか、根本問題に踏み込めない情けなさがあるのではないだろうか。

そして、有田氏が、国政の要である立法府の国会議員であろうとするのならば、個人攻撃は避けるべきであると思う。

次回は、記事の内容に踏み込んでみたい。


ブログ記事雑感~なぜ桜田淳子さんの記事を書くのか [桜田淳子]

私のペンネーム『イワタヤイセタン』でYAHOO検索すると、必ず上位に出てくるブログがある。

検索していただければ、わかることだが。

  

このコメントを書いたのが、昨年の7月のことで、次の記事へのコメントだった。

 

コメントの対象は、有田芳生氏のブログ記事『桜田淳子の芸能界復帰はない』

 

あのコメントを書いて目的は、桜田淳子さんについての見方を知ることにあった。

 

今の時代感覚はよくわからないが、僕らの同時代感覚では、違和感だらけだった。

そこで、ブログに書いて自分なりの考えをまとめてみようと思った。

 

ある程度の分量の記事をまとめることによって、

見えなかった事が見えるようになるだろうし、

見失っていたものが見つけられるようになるかも知れないからだった。

 

限られた情報を頼りに、仕事の合間を見ては、まとめてきた。

 

記事の内容は、多分にその時々の勢いを大事にした。

高ぶる高揚感に任せたときもあれば、進まぬ筆の推敲を重ねたこともある。

 

書いてきたことに矛盾はないし、考えを変えたこともない。

もちろん事実を歪めたこともなければ、隠したこともない。

 

記事は、読んでいて不愉快になることもあったと思う。

しかし、避けて通ったことはないと思っている。

 

僕は、桜田淳子さんという個性を尊重している。

その個性の尊重が、たとえ今の時代の問題点を洗い出そうとするものであるのならば、それでもかまわないと思っている。

 

これ以上間違えようのない今を思うとき、その気持ちを強くする。

 

しかし、私は、桜田淳子さんの復帰など心底望んではいない。

彼女が復帰したとしても、ジャーナリスト気取りの政治屋や、仮面をかぶったブロガーの餌食になることは目に見えている。

 

しかも、彼女自身に、当時のきらめきがどこまで残っているかすら懐疑的である。

 

それでも、ブログを書くことに意味があると思っている。

それは、自分に対するけじめであるとともに、いささか残る正義感によるものだ。

それと、今でも信じる淳子ファンのまじめさに対する敬意であり、少しでも理論的支柱を提供したいからに他ならないし、考えるきっかけを提供できたら幸いである。

 

正直、ブログを書いても、得など無いのだが、反対論者や否定論者がいる限り、書き続けるのだろうし、復帰を望む声があるのならば、できる限りの露払いをしておくことが、青春時代の心の糧にさせていただいたことへの報いと考えてやまない。

 

冒頭の、YAHOOの検索結果は、私の動機付けとなっているし、いつまでも初心を忘れないことの証となっていることは間違いない。

 

雑感的にブログ作成の動機を書き連ねたが、次回は、有田芳生氏への冒頭紹介のブログ記事への現在的感想を予定している。

ブログ作成のきっかけが、この記事ならば、この記事を論破することなしに、先になど進むことなどできないと思っている。


東北震災からの復興に思うこと~いなしの知恵 [時事]

2011年3月11日 東北の震災により、東日本は多大な災害を被ったことは記憶に新しい。

 

日本人が恐怖と不安に襲われた。

 

この狭い国土の東半分がその影響をまともに受けた。

 

堅固な建物、安全の粋を集めた原子力発電所、幾重にも強化された設備、そのことごとくが、強大な自然の前に無力だった。

 

遠く離れた地にすむ人は、テレビの光景を映画のように見つめるしかなかった。

 

どれも、信じられない光景だった。

 

誰も何もできない。

 

元来、日本という風土は、住むには厳しい環境だと思う。

 

細長い島国は、海からの影響を避けられない。

 

春には、黄砂、花粉が舞い散り、そよ風の季節が過ぎても、すぐにジメジメした梅雨が訪れる。

夏は高温多湿になり、気温以上の蒸し暑さを感じる。

 

秋になれば、台風が訪れ、収穫に影響を与える。

冬はフェーン現象で豪雪に見舞われる。

 

そして、火山島の日本では、常に地震のリスクがあり、そして津波が追い打ちをかける。

 

古来、日本人は、極東の島国に渡り、これ以上移住できないこの国で自然との共存を選んだ。

いや選んだというより、ここでの生活を余儀なくされたのだろう。

しかしながら、日本人は、自然を恐れながらも、いなしの知恵をもって、自然と共生してきた。幾たびの災害にも、知恵を出し合い、すこしでも和らげる工夫をしてきた。

 

日本には数々の神話がある。

その題材の多くは、この自然との共生の仕方を伝える者が多いように思う。

熊本に伝わる民話では、大爆発後の阿蘇山のカルデラにたまった水を、タテイワタツノミコトが、外輪山の一角を蹴破り水を逃がし、人々が田畑を耕せるようになった、いわれている。

   

各地にそのような神話が残されている のは興味深い。

  

そして、そうした狭い国土を少しでも住みやすくするために、民話の数々は、そうした狭く厳しい環境の中で人々が、共存する指針となり、潤いとなってきたと思う。

熊本の民話

 

災害をなくすことは、残念ながら不可能だ。

いつかまた訪れる。

 

それは、神の啓示と結びつける考え方はどうかと思うが、備えは必要だし、覚悟は必要だと思う。

そのとき、どう立ち向かうか、どう助け合うかは、日本人としての心のあり方として持っておきたいと思う。

 

今度の震災が、日本人が本来持っていた優しさや、自然と共生しようとする『いなしの知恵』として、再び呼び起こされれば、それに優るものはない。

 

いなしの知恵 http://marguerite-jyun.blog.so-net.ne.jp/2012-09-16

 

単に、物の復興に終わらすことなく、日本人の心の復興がなされることを切に願う。

 

政府の取り組みに期待したい。

http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1258/

犠牲になられた方を忍びながら、復興にたずさわれる方のご検討をお祈りします。

追伸 引用させて頂いた方に感謝します。


『妖精』と『天使』~アグネスと桜田淳子さん~その心の自由 [桜田淳子]

1972年、日中友好が高まり、その象徴として、中国から2頭のパンダが送られる。

そして、芸能界には一人の妖精がやってきた。

アグネス・チャンである。

彼女は、ミニスカートとハイソックスで、一躍アイドルになる。

そして、友好ムードの中、その愛くるしい歌と、たどたどしい日本語とともに、日本中のお茶の間にやってきた。

それは、9月、『スター誕生』から一人の天才的アイドルが誕生した後のことだった。

日本と中国のアイドルを約束された二人が対決することは、この時から始まっていたのかも知れない。

その時は、1973年訪れる。

4月発売の『妖精の詩』は、僕の心に深く刻まれた。

僕には、妖精に思えた。


アグネス・チャン_妖精の詩

この年の2月、桜田淳子さんが、歌手デビューする。

それまで、雑誌や、テレビで予告編的に流される様子が今もおぼろげながら思い起こされる。

そして、『妖精の詩』を挟むように、『天使も夢見る』『天使の初恋』をリリースする。

デビューにして、妖精と天使が、同じステージにたつことになった。
桜田淳子 天使の初恋

当時、僕はどう理解していたのだろう。

正直言うと、絶大な国民的アイドル天地真理、南沙織の時代であり、僕自身もパッケージとしての彼女らが好きだったというほか無い。

しかし、アグネス、淳子さんというスター候補生の活躍、そして、年末に向けての結果的な賞争いを通して、次の時代が予定されていたことは、今更書くまでもない。

そして、天使と妖精は、順調に僕らのこころの糧となっていったと思う。

しかし、この二人、同じアイドルでありながら、タイプが異なるように見受けられるのだが、宗教がらみがささやかれることは、非常に残念なことである。

アメリカではほとんど問題にならない、宗教問題が日本だと大きなウエイトを占める。

文化の違いといってしまえばそれまでだが、教育のあり方も含めて、日本人が考え直さなければならない、心の自由の問題があるような気がする。

そして、現在の日中関係に思うとき、領土問題、歴史認識、など両国の壁は高まるばかりであることを思うとき、政治の無力さを痛感する。

それとともに、芸能を始め、民間レベルでの交流の重要性を感じる。

両国の問題の解決なしに真の繁栄は訪れないのかも知れない。

お互いの欠点を指摘するのではなく、お互いの欠点を認め合う姿勢こそ大事だと思うのだが。

1973年のアグネスと淳子さんの賞レースでの微笑ましい光景が懐かしく思う。

と同時に、彼女らのつないだ友好の架け橋を、大人たちが無駄に消費していないだろうか。

追伸 動画のUP主様に感謝します。

 

 


イデオロギーの終焉その3―霊感商法の犯罪性~そして桜田淳子 [時事]

最近、法務大臣が頻繁にかわり、新たに就任する度に、死刑執行がニュースになる。

しかし、こうした、お決まりの報道のあり方には違和感がある。

今、死刑存続やむなしとする人が、85%を超えているといわれている

犯罪が悪質化する現状ではやむを得ないのだが、法に基づき粛々と行うべきかと考える。

担当する一人の法務大臣の主観を取りざたすべき問題ではないし、人の生死を政治問題化するような報道のあり方にはいささかの疑問を感じる。
是は是、非は非というのが正しいあり方なのではにだろうか。

しかし、そうした刑罰を科すプロセスは、十分、人権に配慮し厳格に手続きを踏まなければならない。
ここで、このプロセスを考えてみたい。

私が、法学を学んだのは、1978年の頃だっただろうか。

最初に刑法総論を学ぶのだが、そこでの定義は
『犯罪は、構成要件に該当する、違法、有責な行為』
ということになる。

つまり、悪いことをしたから、犯罪になるのではない。

犯罪とは、人が人を裁くことの厳格さがなければならない。
このことの意味を、自分的に表現するなら、人を裁きにかけることの罪悪感が必要だということだと思う。

だから、人を容易に犯罪者扱いすることは許されない。
中世以前には、『私刑(リンチ)』が横行した。
非常にに残念なことながら、日本にも『村八分』なるものがあった。

これらは、必要以上に過酷であり、しかも、共同体を構成する人たちの力関係で決まる恐ろしいものだった。

もちろん、それら、私的な制裁が、共同体の維持に不可欠なものではあったが、およそ人権という観念は、それらの共同体秩序とは矛盾する側面が出てくる。

そこで、近代刑法は、犯罪と刑罰について、ルールを決めた。

それが、犯罪の定義に結実している。
そして、その決定権を、公開の弁論手続きを経た裁判官にゆだねることとした。
それこそが、人が人を裁ける唯一の方法だと決めたのだ。


私は、近代刑法が、多くの犠牲者の上にできた民主主義、自由主義のルールであることを思うとき、容易に犯罪を語ることができない。
それと、同じくらい犯罪を容易に語ることを見逃すことができない。

それを見据えた上で、この犯罪の定義を見ていきたい。

『犯罪は、構成要件に該当する、違法、有責な行為』

この定義は、よく練られている。

構成要件とは何か
違法とは何か
有責とは何か
行為とは何か

この一つ一つ論点を克服しなければならない。
犯罪を論じる場合、それを、踏まえた上で、刑法各論の各条文にあたって検証することになる。
これを、このブログで表現することはできないが、一つの例を引いてみよう。

霊感商法を例にとってみよう
経済行為は、物々交換に始まり、貨幣経済で隆盛を見た。
人類の基本的不可欠な行為だが、古来より宗教によって歪められてきた歴史がある。

特にキリスト教系の宗教にとって、原罪という観念が深く影響するように思われる。
そこで、原罪を解くために、宗教上、様々なことが行われてきた。

有名なところでは、中世ヨーロッパでは免罪符なるものが発行され、罪から免れるのに、金銭が用いられた。

原罪という感覚の無い日本でも、『地獄の沙汰も金次第』といわれていたし、儒教では性悪説はあるが、現実の経済行為と直接結びつくものではないので割愛する。

日曜日に教会にいって祈りを捧げ、懺悔するのも同じ文脈であろうし、奉仕活動にいそしむのもそうしたことだ。

しかし、原罪からの救済を訴える彼らの言葉は、原罪を背負わない日本人の多くには届かないのではないだろうか。

私自身は、ほとんど限りなく無信仰に近いと思う。
というより、日本人の自然崇拝的な思考があるのかもしれない。

以前,『いなしの知恵』というのを紹介したことがある。
東北の震災を思うに、日本人の災害への対応の特殊性が、海外メディアにより伝えられたことがある。
この厳しい自然環境の中で、自然を恐れ、自然との共存を誓った、先祖たちの精神が今も脈打っていることを確信した。

そうした自然崇拝的な風土では、原罪的なキリスト感は醸成しにくいのではないだろうか。

話は、横道になってしまったが、宗教と経済行為との接点に、霊感商法問題がある。

霊感商法という言葉は、1980年代に、共産党系機関誌『赤旗』により、統一協会の商法に対し作り出した造語であり、そのラベリング自体はイデオオロギー的であるのだが、ここでは、便宜上使用する。

霊感商法とは、どういうことだろうか。
主体の問題から考える。
信者同士であるのなら、法的保護に値するか疑問であるから、信者が一般人に対して行った経済行為が問題になるかと思う。

想定される類型的行為は、
信者が、一般人を勧誘し、霊感を持つとされる人(霊能者)のところ連れて行く。
霊能者は、一般人に、先祖の霊を告知する。
そして、一般人が原罪に共感し、贖罪の方法を求める。
霊能者、またはそれに類する人は、一般人の弱みにつけ込み、物品を販売する。
もちろん、それらを企画・指示した人がいる。

ということではないかと思う。

Wikiによれば、霊感商法に対し民事裁判は多数起こされているとのことであるが、刑事犯となったのは、1件ということである。それは、恐喝罪であった。
詐欺罪の適用はないとのことである。

恐喝罪の類型性はわかりやすいが、詐欺罪は少し難しい。

営業行為の過程の中で、大なり小なり事実が告げられなかったり、うそが伴うこともあるだろう。
もしかしたら、結婚するときだって、『君を幸せにする』と人生最大の嘘をついた人だっていると思う。

しかし、嘘がすべて、刑法でいう詐欺罪になることはない。
詐欺罪になるには、いくつかの要件をクリアーしなければならない。

まず、典型的には、欺罔行為(欺く)があり、その結果として、相手方が錯誤におちいり、財物を交付するというプロセスをたどることなる。

例を引こう。
Aが、Bに対し、壺を売る。
その際、『これは明朝時代の景徳鎮の壺だけど、100万円にまけとくわ。これが鑑定書よ』といったのを信じて買った。ところが、明朝時代の景徳鎮産ではなかった。
これは詐欺罪になるかもしれない(ほとんどのケース警察では相手にしてくれないが)。

これならどうか。
Aが、Bに対し、この壺を買えば、今までの不幸なことはサタンのせいで、この壺を買えば、サタンが寄りつかないわ』といったとする。
Bは、Aが一生懸命なので、かわいそうだな。買ってやれば、この娘も救われるかも知れない、と思って買ったとする。

これは詐欺罪には決してならない。

なぜなら、Bは、錯誤に陥っていないし、買う動機とAの行為の間には因果関係が無いからだ。

因果関係とは、条件説でとらえれば、『AがなければBがない』という関係だが、この場合、条件関係は切断されている。

もちろん錯誤に陥るという、判断は難しいだろう。
主観説、客観説、折衷説などの論争を待たねばならないこともあるかも知れない。

しかし、壺を手にする人の購買層はあるだろうし、ある程度のステータスがあるだろうから、その判断能力は、支払う金額に見合う場合が通常だと思う。
並の営業マンでも貧しい人に営業行為をするより、富める人をねらうのは当たり前のことだ。

もちろん、営業行為を仕掛ける方と、買い手との情報格差が大きい場合や、老人、子供などの判断能力に疑問がある場合は、弱者救済の発想は必要なのはもちろんだが。

そして、以前経験したことだが、経済行為という民事問題に不介入というのが刑事原則といっていい。

そうした常識を踏まえて、なおかつ、犯罪を語ろうとすることには、イデオロギーのにおいがする。

戦前、憲兵隊などは、思想犯とくに、共産主義者を徹底的に弾圧した。
日本の戦局が厳しくなるとさらに弾圧が加えられた。
イデオロギーとはそういうものだ。理性を超えた結論を導くことが多い。

しかし、戦後60年以上が経過し、そうした、感情で法を語ることを、認めるわけにはいかない。
自由主義的ルールは、我々の諸先輩が勝ち得た成果なのだから。

と同時に、マスコミが騒いだから死刑にしないとか、マスコミが騒がなくなったから、霊感商法を処罰しないとかいう論争は論外といわなければならない。

こういうものを、法治国家といわない。
最近、政府見解の中で、『法の支配』といわれることが多いが、この場合、同じ文脈で捉えていいと思う。

本ブログは、桜田淳子という芸能人が、いかに芸能界を追われたかを検証することが動機付けとなっている。
桜田淳子さんは、今から40年前、1973年2月25日、歌手としてデビューした。

そして、今から20年前、芸能界を追われるように去って行った。

当時の一部の芸能マスコミのバッシングはあきれるばかりだった。
彼らは、検察官にでもなったような質問を繰り返した。
たった一つの答えを引き出すのが目的だった。

その中には、テレビで名声を得たものがいる。

そして、その後、桜田淳子さんの復帰の噂が出るたびに、または行動を起こすたびに批判し続けている。
こうした光景は目に余る。

今、桜田淳子さんという人が忘れ去られようとしている。
そして、記憶を呼び戻そうとしている人もいる。

僕は、桜田淳子さんの復帰した場合を思うとき、無能な批判者の売名行為に利用されることに我慢できない。

批判すべきは、統一協会自体にあるはずなのに、すり替えた議論で満足している。
僕には売名行為としか思えない光景だったことを、今日という日に記録する。

そして、この竹槍のような粗末なブログに記録することにより、後世の良識に託したいと思う。
半年後の参議院選挙を見ながら。

イデオロギーの終焉その2 [時事]

以前、週刊朝日と橋下問題に意味について書いたことがある。それから、3ケ月以上経過した。

その間、衆議院総選挙もあった。
日本の政治の行き先は未だ不透明ながら、1992年以来の失われた20年間に区切りをつける流れのように思う。

今回は、人権問題について少し書きたいと思う。
私が学んだのは30年以上前の法律論に根ざしているので、いささか古い考えになっているかも知れない。
それでも、現代に通じるものがあると思う。

橋下問題についての経過については、すでにWiki にまとめられているので、今更書くことは無いと思う。

週刊朝日による橋下徹特集記事問題

出版社と著者はそれなりに批判を浴びているので、周囲の反応を紹介することにしよう。

参議院議員 有田芳生氏のツイッタ

私は、このつぶやきを、あるブログから知った。
最初に思ったのが、差別問題についての感覚だった。

私が小学校の時、学校の講堂である映画を見せられた。
1本はガメラ対ギャオスだったと思う。
そして2本目は『橋のない川』だった。

映画について、感想文が求められ、部落問題について、優等生的な感想文を書いた記憶がある。

差別が良くないことは、頭の中ではおぼろげながらわかっていたつもりだった。

ある時、親に連れられて、車で空港に行くことになった。
時間が迫っていたので、親は近道を通るといいながら、子供の僕にこう付け加えた。
『決して、窓の外を見るな。そして、声を出してはいけない』

突然のことなので、何が何かわからなかった。聞いても理解できない返事だった。

後で、ゆっくり諭すように、差別部落を通過したことを聞かされた。
小さな僕は怖くなったことを昨日のように覚えている。

それほど、部落問題は現実には厳しい問題なのだ。
そして、口で言うほど平等はやさしいものではない。

口で、権利だ、人権だ、男女平等だ。という人がいる。

私は、そういう人がすぐさま信用できない。

権利は、闘争により得られた結果だということを理解した方がいい。

時として、血なまぐさいことだってある。
先輩たちは、そこを通ってきた。
そのことが尊いと思う。

私は、有田氏のこのツイッターでのコメント、そして、その前後の脈絡を読んで、これまでの先輩たちの積み上げてきたものを反故にする恐ろしさを感じた。

ネットで検索すると多数の反対意見が寄せられている。

今回の橋下報道についての決着は、普通の人なら当然の結果だと思う。

それなのに、出版した週刊朝日、自社内で明確な答えが出せず第三者機関にゆだねた朝日新聞、そして、擁護した国会議員、彼らに共通するのは、イデオロギー以外に理解できない。

イデオロギー論争の最大の欠点は、反目するイデオロギーを認めないことにある。

前回ダニエル・ベルの著書『イデオロギーの終焉』を紹介したが、イデオロギーは、現代でもなお色濃く残り、問題の端々で顔をのぞかす。

それで、現代の複雑な諸問題を解決できるとは思えない。


『情報の裏を読む』について~桜田淳子『アイスルジュンバン』 [桜田淳子]

YAHOOで、『桜田淳子』を検索すると、トップページに紹介されている記事がある。

有田芳生氏『情報の裏を読む』というものだ。

読んでみると、桜田淳子さんの著書『アイスルジュンバン』についての、背景についての記事のようである。

有田氏は、共産党に所属し、赤旗が統一協会の商法を霊感商法だと命名した時代から、その論陣を張り、イデオロギー闘争の流れを汲んでいるといっていいと思う。

それだけに、一考に値する、

しかしながら、深読みのような印象を受ける。

『アイスルジュンバン』には、淳子さんが芸能界を追われてからの子育て、育児などのプライベートが書かれているのだが、統一協会のことが書かれていないということに対するのが批判の骨子である。

そもそもこの本は、誰のために書かれたのだろうか。
かつての淳子ファンは、すでに40歳を過ぎ、それなりの分別はもっている。
そんな人にとっては、消息を知れば十分のはずだ。

この記事は、そんな読者をないがしろにしていないか。

それまでのベールに包まれた部分を、本人が語ろうと言うことすら、揶揄しなければならないのだろうか。

この記事を読んで、僕の記憶の中にあったものが、蘇った。

この有田氏こそが、1992年、1993年と桜田淳子バッシングの急先鋒に立って、テレビのワイドショーで、バッシングの論陣を張っていたことを。

運命とは皮肉なものである。

これは、言論のあり方もふくめ、現代まで続く重要な問題を含むので、次回以降、さらに深めたいと思う。

イデオロギーの終焉~桜田淳子はなぜ追い詰められたのか [桜田淳子]

30年以上も前に読んだ本に、『イデオロギーの終焉』というのがあった。

アメリカの社会学の学者でダニエル・ベルが、1960年に著述した。

 

戦後、科学技術が進歩したことを背景にして、イデオロギーの対立が終焉を迎えるというものだ。

 

ここで論じられるのは、資本主義と共産主義が中心となる。

 

先般、あるテレビを見ていて、高校生の子供と話す機会があった。

社会は、現代社会を選択しているのだが、『右寄りの思想、左寄りの思想』といっても、理解してもらえなかった。イデオロギーの系譜を話したが、ピンとこないようだった。

確かに、高校の授業では、受験には何の関係もなく無意味なのかもしれない。

 

ダニエル・ベルの主張は、現代に生き、その書物は役割を果たしたのかもしれない。

 

しかし、それは正しい理解なのだろうか。

 

イデオロギーという原理主義で、現代の複雑な問題の解決を図ることは困難であるが、その理解なくして、問題の解決を図ることは、問題の先送りに過ぎない。

 

確かに、物事の根本的解決を図ることは立場が異なるものの間では困難なのかも知れない。

しかし、歩み寄ることはできるはずだ。

 

1980年代、科学技術が進歩して、ダニエル・ベルの説くように資本主義が謳歌され、階級対立は微調整の段階に入ったかに見えた。

資本主義といえども、福祉政策など社会的弱者の救済など、社会主義的諸政策が展開されるにつれ、共産主義はその役割を終えてきた。

 

そして、ベルリンの壁の崩壊とともに、共産主義が灰燼に帰し、イデオロギーが終焉を迎えたかに思えた。

日本でも、1993年8月、細川内閣の成立をもって、戦後秩序を維持してきた55年体制が崩壊したと位置づけられている。

 

55年体制を単純に描けば、自民党と社会党、右と左の対立の構図を軸にして、政治の方向性が決定されていく仕組みだ。

イデオロギーの対立構図がそのまま反映されるわかりやすいものだった。

 

その体制の崩壊は、ダニエル・ベルの予測に基づく、歴史の帰結だったと考えられた。

 

そして、日本の政治は、資本主義を軸にして、イデオロギーを離れ、政策主義、選挙公約、マニフェストという、概ね、社会契約的な形で展開されるかに見えた。

 

しかしながら、日本の政治は、そうした公約を忠実には実行されないことがわかってくると、もはや選挙離れとなるのは必定だと思う。それのみか、政治的無関心にさえ感じる。

 

今の日本に、共通の方向性はあるのだろうか。あるのは、見えない不安と人任せだけではないだろうか。

 

ダニエル・ベルがイデオロギーの終焉の先に描いたのはそういう世界だったのだろうか。

 

そこで、多少ではあるが、歴史を紐解いてみよう。

1990年代に入り、敗れた者たちによる反撃が始まる。深く暗く。

 

一つの例を挙げよう。

ベルリンの壁崩壊まで、統一協会を中心として、国際勝共連合が活発な活動を行う。 

それは、西側諸国の政治体制に入り込んでいく。

日本においては、より明確に浸透したと言っていいかもしれない。

1992年、統一協会の合同結婚式がそれまでになく盛大に行われた。

参加者の中に、芸能人がいたことにより、よりクローズアップされた。

山崎さん、桜田さん、徳田さんの三人だった。

 

山崎さんは、のちのち脱会し、徳田さんは親も公認なので、問題なかった。

 

ひとり矢表に立たされたのは、桜田淳子さんだった。

 

賛否をめぐっては、有識者も含め様々な意見があった。

大きく分けると、資本主義、自由主義の人からは同情を得るも、共産主義の人からは否定される、という傾向があった。まさにイデオロギーの屈折した攻防がそこにあった。

 

そのあまりに滑稽な攻防に嫌気をさしたのか、有識者たちはこの議論を離れ、最後までバッシングをした芸能マスコミによる勝利となった。

 

その急先鋒たる本を紹介する。

『桜田淳子と統一教会のウソ』

著者の有田芳生さんと江川紹子さんが、長い年月をかけて追求された成果がある。

 

こうして、桜田淳子さんは、自らの行為とは別次元で、イデオロギーの犠牲となり、芸能界の仕事を失っていた。

歌、踊りという芸能一筋の彼女の不本意とするところであったに違いない。

このイデオロギーに拘泥する時代はいつ終わるのかと思う。

学問的成果が無駄にされた悲しむべき20年だと思う。

   

だからといって、日本社会において、統一協会の考え方は受け入れられない。

それは、霊感商法云々とかではなく、日本人の尊厳と、勤労の成果である金品が奪われることにある。そのために、日本の青年、女性が駆り出されることにある。

そこに見え隠れするのは、宗教に名を借りた資金集めであり、朝鮮半島の統一ということではないだろうか。

 

この粗末なブログで、それ以上敷衍するつもりはない

このブログの目的の一つは、失われた20年の追跡にあり、その中で、なぜに、桜田淳子が、この騒動に巻き込まれたのか、を探ることにあるのだから。

建国記念日にあたり、改めてこの20年の意味を問いたい。

そして、健全で平和な日本であることを望む。


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