イデオロギーの終焉~桜田淳子はなぜ追い詰められたのか [桜田淳子]
アメリカの社会学の学者でダニエル・ベルが、1960年に著述した。
戦後、科学技術が進歩したことを背景にして、イデオロギーの対立が終焉を迎えるというものだ。
ここで論じられるのは、資本主義と共産主義が中心となる。
先般、あるテレビを見ていて、高校生の子供と話す機会があった。
社会は、現代社会を選択しているのだが、『右寄りの思想、左寄りの思想』といっても、理解してもらえなかった。イデオロギーの系譜を話したが、ピンとこないようだった。
確かに、高校の授業では、受験には何の関係もなく無意味なのかもしれない。
ダニエル・ベルの主張は、現代に生き、その書物は役割を果たしたのかもしれない。
しかし、それは正しい理解なのだろうか。
イデオロギーという原理主義で、現代の複雑な問題の解決を図ることは困難であるが、その理解なくして、問題の解決を図ることは、問題の先送りに過ぎない。
確かに、物事の根本的解決を図ることは立場が異なるものの間では困難なのかも知れない。
しかし、歩み寄ることはできるはずだ。
1980年代、科学技術が進歩して、ダニエル・ベルの説くように資本主義が謳歌され、階級対立は微調整の段階に入ったかに見えた。
資本主義といえども、福祉政策など社会的弱者の救済など、社会主義的諸政策が展開されるにつれ、共産主義はその役割を終えてきた。
そして、ベルリンの壁の崩壊とともに、共産主義が灰燼に帰し、イデオロギーが終焉を迎えたかに思えた。
日本でも、1993年8月、細川内閣の成立をもって、戦後秩序を維持してきた55年体制が崩壊したと位置づけられている。
55年体制を単純に描けば、自民党と社会党、右と左の対立の構図を軸にして、政治の方向性が決定されていく仕組みだ。
イデオロギーの対立構図がそのまま反映されるわかりやすいものだった。
その体制の崩壊は、ダニエル・ベルの予測に基づく、歴史の帰結だったと考えられた。
そして、日本の政治は、資本主義を軸にして、イデオロギーを離れ、政策主義、選挙公約、マニフェストという、概ね、社会契約的な形で展開されるかに見えた。
しかしながら、日本の政治は、そうした公約を忠実には実行されないことがわかってくると、もはや選挙離れとなるのは必定だと思う。それのみか、政治的無関心にさえ感じる。
今の日本に、共通の方向性はあるのだろうか。あるのは、見えない不安と人任せだけではないだろうか。
ダニエル・ベルがイデオロギーの終焉の先に描いたのはそういう世界だったのだろうか。
そこで、多少ではあるが、歴史を紐解いてみよう。
1990年代に入り、敗れた者たちによる反撃が始まる。深く暗く。
一つの例を挙げよう。
ベルリンの壁崩壊まで、統一協会を中心として、国際勝共連合が活発な活動を行う。
それは、西側諸国の政治体制に入り込んでいく。
日本においては、より明確に浸透したと言っていいかもしれない。
1992年、統一協会の合同結婚式がそれまでになく盛大に行われた。
参加者の中に、芸能人がいたことにより、よりクローズアップされた。
山崎さん、桜田さん、徳田さんの三人だった。
山崎さんは、のちのち脱会し、徳田さんは親も公認なので、問題なかった。
ひとり矢表に立たされたのは、桜田淳子さんだった。
賛否をめぐっては、有識者も含め様々な意見があった。
大きく分けると、資本主義、自由主義の人からは同情を得るも、共産主義の人からは否定される、という傾向があった。まさにイデオロギーの屈折した攻防がそこにあった。
そのあまりに滑稽な攻防に嫌気をさしたのか、有識者たちはこの議論を離れ、最後までバッシングをした芸能マスコミによる勝利となった。
その急先鋒たる本を紹介する。
著者の有田芳生さんと江川紹子さんが、長い年月をかけて追求された成果がある。
こうして、桜田淳子さんは、自らの行為とは別次元で、イデオロギーの犠牲となり、芸能界の仕事を失っていた。
歌、踊りという芸能一筋の彼女の不本意とするところであったに違いない。
このイデオロギーに拘泥する時代はいつ終わるのかと思う。
学問的成果が無駄にされた悲しむべき20年だと思う。
だからといって、日本社会において、統一協会の考え方は受け入れられない。
それは、霊感商法云々とかではなく、日本人の尊厳と、勤労の成果である金品が奪われることにある。そのために、日本の青年、女性が駆り出されることにある。
そこに見え隠れするのは、宗教に名を借りた資金集めであり、朝鮮半島の統一ということではないだろうか。
この粗末なブログで、それ以上敷衍するつもりはない
このブログの目的の一つは、失われた20年の追跡にあり、その中で、なぜに、桜田淳子が、この騒動に巻き込まれたのか、を探ることにあるのだから。
建国記念日にあたり、改めてこの20年の意味を問いたい。
そして、健全で平和な日本であることを望む。
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