歴史の修正力~桜田淳子さんを忘れざりしや [桜田淳子]
『歴史』というものは、どこまで続くのだろうか。
『時代』というものは、どこまでうつろうものなのだろうか。
『世相』というは、どこまでわがままなものだろうか。
そんなことを感じさせる次のニュースだった。
また、繰り返されたの念がある。
『何をか言わんや』
実は、昨年8月ロンドンオリンピックに端を発した竹島問題から、強い問題意識を持った。
しかし、何から書くべきかと思った。
ブログのタイトルは、すぐに決まった。
いささか反語ではあるが、なにを言おうか、言うことがなにもない。あきれてなにも言えない。
まさに、そんな気持ちだった。
それから日々のニュースを追いかけたりした。
いつも行き着くのは、『この失われた20年』だった。
下がる一方だった。
国力も、国際的地位も、経済力も、名誉も・・・。
これは、政治の話ばかりではない。
芸能界とて、質・量とも変わり果てたように思えてならない。
これまで、働くだけ働いてふり向くことを忘れていた私には、価値観がこれほど変わったかとさえ思った。
本来このブログ作成のきっかけは、桜田淳子さんのあまりに低い評価と誤った先導への疑問だった。
むしろ、桜田淳子さんの功績も存在さえも失い欠けていたことへの抵抗だったかもしれない。
仁・咲さんの手紙
しかしながら、一見、やむを得ないのかなと思えていたが、時代を青春時代の70年代くらいまで遡れば、微かだけれども違和感が生まれた。
そこから、様々な現象との思索の戦いが始まった。
芸能問題にとどまらず、政治問題、経済問題などなど、自分の経験を頼りにただひたすら考えた。
そうすることにより、いつか自分なりの駅に到着すると思えた。
もちろん、たまたま読んでくださる人に押しつけるつもりはない。
ただ考えてもらえば十分だった。
そういった意味では、このブログの一つ一つの記事は、結論というより問いかけにすぎない。
その間、昨年12月の衆議院選挙、今年6月の東京都都議選挙、7月の参議院選挙があった。
1992年従軍慰安婦訴訟を提起した福島瑞穂さんは、社民党党首を引責辞任した。
アメリカとの同盟関係から距離を置きアジアに傾いた鳩山由紀夫さんは、民主党を追われるように去った。
菅直人さんは国策を誤ったと批判され、政党政治の本質を誤っているとして党から問責されている。
有田芳生さんは、イデオロギーの強さのあまり、政治活動もままならないような状況になっている。
宗教がらみでは、統一教会の文鮮明氏は死去し、分裂の危機にある。
もちろん、これらの人は、賛否はあるだろうが、何かに立ち向かった人であるし、そういう意味では私のような凡人が語るべきでないかもしれない。
それでも、僕には『失われた20年』を見直せれば十分だったし、桜田淳子さんの功績を将来まで残せればそれで十分だった。
そして、僕は、亡相澤会長のお通夜での桜田淳子さんへの気遣いを見て、歴史に修正力があることを確信した。
桜田淳子さんとともに成長できてよかったと思える自分をここに記しておこうと思う。
追伸 動画のUP主様に感謝します。
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