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桜田淳子 忘れな草の伝説 [桜田淳子]

『失われた20年』とは、何だったのか。

 

このブログの記事の一つ一つは、この事へのアプローチに多くを費やしてきた。

行きつくところ、この事に凝縮しているのかもしれない。

 

自分自身、1991年、92年、93年と慌ただしい時を過ごし、冷静な判断ができないまま、時の流れに身を任せたというのが正直なところだろう。 

この間の経緯については、これまで書いてきたが、いつの日かもう少し丁寧に書いた方がいいのかもしれない。

しかし、もう少し、これからの推移を見ようと思う。

 

『わすれな草』という青いかわいい花がある。

この花に託された悲しくもせつないが、けなげな伝説があるという。

 

伝説では、兵士は、恋人に花を贈ろうと川に入る。

そのうち、濁流となり、水は兵士を飲み込む。

覚悟を決めた兵士は、花を恋人の元に投げ、流される。

こんな話だそうだ。

 

1990年代初頭に、大きな『時代』といううねりがあり、価値観が変わってきた。

私は、これまで、時代という大きなうねりの中で、桜田淳子さんの評価が非常に過小に評価されていたと言う風にとらえていたのかもしれない。

それは、1970年代は数々のヒット曲を重ね、1980年代は数々の舞台を踏み、賞を受けたことだけでも、特筆すべき事だったのに、それが無きものにされていたことが不思議だった。

あるいは、芸能活動のわずか数パーセントにも満たないお笑いのコントがクローズアップされることも奇異だった。

だから、その理由が知りたかった、

 

しかし、もしかしたら、『失われた20年』間に濁流に飲まれていたのは、僕らの方ではないだろうか。

 

夢でも見ていたのではないか。

 

時代という流れに飲まれず、おぼれる僕らを見つめ、岸辺で見守られていたのかもしれない。

濁流の中でもがいていたのか、岸辺で見守っていたのか。 

物事の見方は、立場により変わりうることを経験則で知っている。

 

私は、このブログを書きながら、実は桜田淳子さんの正当な評価を求めながら、実は、そうした時代に流された『自分探し』をしていたのではないかとさえ思う。

 

正直今更、時代が戻ればいいとか、大上段なことは考えていない。

いや、むしろ、復古主義は好むところではないし、発展的に昇華していかなければならないことを望んでいる。 

今抱える矛盾が、どのように解決されていくのだろうか。

 

昨年11月26日、ファン感謝DAYで、『わすれな草』は、『青い花』として共有された。

 

桜田淳子さんとファンの『デビュー40周年』は、多くの思いとともに、過ぎていった。

数々の偶然があったとはいえ、多くの方の永年の努力が実を結んだと言っていいと思う。

 

41年前、桜田淳子さんの『スター誕生』でのデビューコーナー登場がうっすらと蘇る。

淳子さんが、忘れやすい青春時代の僕らの心に植えておいた『わすれな草』は、鮮やかな群青色だっただろうか。

2月25日を静かに迎えられたことが嬉しい。

 

追伸  動画のUP主様に感謝します。


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