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桜田淳子という存在~攻防の光と陰 [桜田淳子]

70年代という時代は何だったのか。
大衆文化への移行期ではないかと思う。

流通業界が、30年戦争に突中、消費者というものが、色濃く出てくる。
それは、芸能界においても同じような波として訪れた。

まず、この時代というものを、ある番組をとおして紐解いてみたい。

1970年2月、『時間ですよ』という人気ドラマがスタートした。
主演は森光子、他には、堺正章や悠木千帆(後の樹木希林)らが出演し、天地真理、浅田美代子らの出世作にもなった。伝説の番組だ。

この、番組は白黒の番組としてスタートをきった。
まだ、国民が買えるのは、白黒テレビが主流だったことも影響しているのだろう。

私の家は、アポロ11号の月面着陸をカラーテレビで見たので、少しは進んでいたせいか、白黒番組はどちらかというと見なかった。
それでも、お色気シーンがあったので、この番組はよく見ていた。この番組は子供が見れる女性の裸の限界だったかもしれない。

1971年7月から、『時間ですよ』はカラー番組となる。そして、天地真理が起用され、国民的アイドルへと成長していく。

1973年2月からは、浅田美代子が登場し、やはり国民的アイドルとなる。
この番組から生まれたヒット曲が、浅田美代子「赤い風船」 、堺正章「街の灯り」である。いずれも心に残る名曲だと思う。

1969年に、日本は世界でカラーテレビ生産第1位国になるものの、1970年にアメリカにダンピング認定を受け、日本でも二重価格への消費者運動あり、カラーテレビの価格が下がった影響もあり、73年には、カラーテレビの普及率が、白黒テレビを上回るようになった。

しかし、さらなるテレビの販売を高めるには、映像の精度を高めなければならない。

『時間ですよ』は、そんなカラーテレビ時代の移行期を映し出すものとしては興味深い。

そのような時代背景の中、放送業界の使命として、いかにカラーテレビに見合う番組作りをするかにあったといえよう。

そのためには、よりビジュアルなものが求められる。
白黒テレビに映し出される映像は、やはり、ラジオの延長線上で、それまで、アナウンサが実況放送していた部分を映像で補完するようなものだったように思う。

事実、白黒テレビで出演者の顔の表情の変化まで映し出すことには限界がある。

テレビ局としては、カラーテレビに相応しい、芸能人をもとめるのは必然だった。

カラーとなった『時間ですよ』から、天地真理が生まれ、浅田美代子が生まれたのは余りにも当然過ぎたのかもしれない。

そして、テレビ局は独自のオーディション番組をつくり、あらたな可能性を発掘していく。
その代表が、1971年10月スタートの『スター誕生』だった。

それでも、芸能界の敷居は高かった。
ナベプロの一極支配のもとでは、視聴者といえども、おいそれとオーディションに参加するには抵抗があり、森昌子のような聴かせるタイプが主流であった。
カラーテレビでなくてもよかったのかもしれない。

そんな中、翌年72年7月、新たな才能が登場する。
それはテレビ関係者からみて、カラーテレビ時代のビジュアルの主役になれる逸材だった。
阿久 悠さんの表現を借りれば、『蛍光灯の淡い光』に包まれたような存在だった。

それが、一人の14歳の少女の運命を決定した。
桜田淳子という存在を、目撃したことにより、状況は一変したといっていい。

『スター誕生』という番組への関心度は高まり、番組の目的は『第二の桜田淳子』を探し始め、応募者は殺到した。

山口百恵さんもその一人だ。12月の決戦大会で準優勝にとどまっている。それでも、20社のスカウト陣の目を引き付けた。
そこには『第二の桜田淳子』を見たのだ。

桜田淳子は、デビュー前にして、関係者を色めき立たせた。

そして73年2月25日歌手デビューした。
桜田淳子は、各テレビ局独自のオーディションでもその評価は1番だった。それは、番組出演への優先枠を意味する。その才能は、当時芸能界のナベプロにも影響を与えた。

刺激を受けたナベプロは、1973年4月より独自にオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』をNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送を開始する。

しかし、『あなたならOK!』の放送日時となった月曜日の夜8時という時間帯は日本テレビがナベプロの歌手も出演していた『紅白歌のベストテン』を放送していたため、ナベプロは『紅白歌のベストテン』からの撤退を決定。
そこで、ナベプロと日本テレビは全面対決となる。流通革命と同じ構図だ。
チャネルの主導権争いなのだ。握るのは、供給者なのか、媒体なのか。
勝敗を分けたのは、ファンの目線だった。

『スター誕生』出身として、前年の森昌子、その年2月の桜田淳子のみならず、5月21日山口百恵も歌手デビューし、その後も番組には魅力的スター候補生が登場した。

もはや、旧態依然とした帝国には芸能界の流れ、勢いはとめる事はできない。『あなたならOK!』はその年の9月で番組を終了する。

それでも、ナベプロには道があった。
その年の新人賞レースは熾烈だった。

カラーテレビ時代の『華』を求める戦いといっていい。
ナベプロの望みは、香港出身の『アグネス』だったのかもしれない。

そして、次なる攻防が続けられるのだが、攻防の歴史の果てに傷つく者があることを、この時代人たちは予測しただろうか。

追伸  カラーテレビの販売には、映像コンテンツの魅力は欠かせない。
ビクターは桜田淳子も求め、ソニーは山口百恵を求めたことは興味深い。

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