SSブログ

なぜ桜田淳子だったのか?その2 [桜田淳子]

日記を書く少女にどのような印象を持つだろうか。

几帳面。確かに。
物静か。何となく判る。
夢見るタイプ。なるほど。
内気。そんな感じだ。
優しいイメージ。多そうだ。
内向的。かもしれない。

どれも、当たっていると思う。

日記を書くのが好きな少女がいた。

70年代の象徴的アイドル桜田淳子だ。

小さい時から日記を書くのが好きで、多忙になった芸能界に入っても変わることは無かった。
一部公開されているようである。

日記は書いた方がいいと、小さい時に先生に教わり、試した人は多いと思う。交換日記などを経験した人も多いだろう。

しかし、感傷的な時は過ぎ、いつしかやめてしまった、という人が多いと思う。
私も中学時代ほろ苦い思い出と共に日記をつけた経験がある。

しかし、桜田淳子は違った。
彼女はいいと思ったことはやり続ける根気とけなげさがあった。
そして、感傷的であり、感受性が人一倍強かった。

だから、そのあふれる感情を書き留める必要があった。
それが、日記であり、詩であり、イラストであり、演劇の脚本であり、歌だった。

彼女が『感激屋』あるいは泣き虫だったことは、多くの人が語るところである。

そんな彼女の性格が、芸能に向かう時、その頑張りと共に、その才能は生かされ、感受性が、目の前に表現されることになる。特に観衆のいる舞台では、その感性は研ぎ澄まされ、より増幅されるのだ。

しかし、その才能の表裏として、彼女の一途なところが頑固な性格と受け取られ始め人目に付くようになると、人の評価も厳しくなるというものだ。彼女の芸能活動に対する過小評価はこのような所にある。

桜田淳子の『純潔な思い』が、時代の流れの中で芸能界から受け入れられにくくなるにしたがって、それを受け入れる方になびいてしまったのが、ファンにとっての不幸の始まりだった。

しかし、彼女の『純潔な思い』は、生来のものだろうか。
会社の宴会部長だった父親の血を引き、人前で歌ったり、踊ったりとにかく人を楽しませるのが好きなだけだったのではないか。
それがいつから、貞操観念に発展したのか。

姉が暴漢に襲われたからか、富山のコンサートでファンが舞台に押し寄せ囲まれたことか、芸能界交歓図裁判か、いろいろささやかれる芸能界の裏側か、いろいろな要因があると思う。

彼女にとって不純な事があるたびに、『純潔な思い』が、統一協会の教義の極一部とともに、周りから少しずつ、まことしやかに語られ、強化(教化)されて行っても不思議はないだろう。

彼女の『純潔』は、彼女の一途な真面目さと、自分を追い詰める内向性、という内的要因、
それに、韓国人の日本女性へのイメージと統一協会の戦略という外的要因とが絡み合ったものだった。

残念なことではあるが、彼女の
誇張された『純潔』精神は、マインドコントロールによるものだと思う。

次回は、マインドコントロールは解けるのか、という、昔の圧倒的多数だった桜田淳子ファンの心に潜む難題を考えてみたいと思う。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。