永遠のもっと果てまで [桜田淳子]
『淳子は幸せになれるのか』
1992年9月頃のワイドショーの見出しだった。
もちろん、番組内容は、世相を反映しての賛否両論だったに相違ない。
これ以降、次第に批判の声は強まっていく。
この年の6月、僕は、早朝のテレビを、出勤前の慌ただしさの中で垣間見た。
『一度決めたことは、覆らないだろう』
これが、その時、僕の秘められた率直な思いだった。
そして、桜田淳子さんが不幸せになることなど、僕の思考外のことだったと言って良かった。
そして、オセロゲームのように、世の中の風潮が白から黒に変わっていっても、考えは変わらなかった。
ただ、年月が事実を風化していったのみだった。
今から3年前の4月、スマートフォンを手にした。
物珍しさから、子供に教えられるまま動画サイトを検索してみた。
恐る恐る『天地真理』と入力し、懐かしさがこみ上げてきた。
何気なく、関連する動画を見てみると、紅白歌合戦での『黄色いリボン』が目に飛び込んだ。
今、どうしているんだろう。
そう思ったことが巡り合わせだった。
ネット検索して飛びこんできたのは、目を覆いたくなる記事の連続だった。
しかしながら、そんな記事の中から、当時を過ごした人と、それ以降の人を分けるのはそれほど難しいことではなかった。
私は、それ以後、時折、このようなネット社会を覗くことは出来たが、参加する気など無かった。
参加しても、勝ち目など無いと思っていたし、それは私の仕事ではないと思っていたからだった。
それからは、所詮、ネットの世界のことだと割り切ろうとしていた。
6月頃だろうか、NHKテレビで、『ミュージック ポートレイト』と言う番組を見た。
松田聖子さんが出ており、何となく見ていたら、聖子さんに影響を与えた曲と言うことで、『気まぐれヴィーナス』が紹介された。
しかし、聖子さんの口から、『桜田淳子』という言葉は聞かれなかった。
画面に流れたのは、藤井隆さんの顔まねだった。
それが、現実だった。
何かがおかしい。
7月に入って、ある人のブログにコメントしてみた。
広大なネット社会に住む人に意見をぶつけてみたが、到底、満足を得る答えはなかった。
数回コメントを繰り返す打ちに、私の心の中に怒りがこみ上げてきて、それがどうしようも無い振幅となったとき、いつしかブログを書くようになった。
最初は、桜田淳子さんへの思いを記すことにした。
忘れていた記憶を1日1個思い出そうとした。
そしてあることに集中力を高めた。
当時、民主党の政権時代であり、日本の国力が疲弊し、国際的地位も低下して、これまでに無い最低な時代だった。
日韓の竹島領土問題、慰安婦問題、日中の尖閣問題、歴史認識問題が、目に見える形で吹き荒れ始めた。
これが、『失われた20年』の実像だった。
これから日本が回復に反転する可能性があるとするならば、その波に乗せてあげたい。
そう思い始めた。
しかし、それは、今となっては、必要なかった。
『マインドコントロール』という言葉も根拠のない宙に浮いたものとなり、『霊感商法』は被害額を確定できず『消費者センタへの相談金額』という不定の金額しか提示し得ない。
そうすると、行きつくところ、『イデオロギー問題』に帰結する。
イデオロギーに、善悪はつけられない。
時代により優劣が決まる。
所詮そうしたものだ。
残念ながら、1992年、桜田淳子さんは、時代という波のなかで、芸能界を離れた。
でも、時代の犠牲となったのではない。
時代に振り回されたのは、僕らの方だった。
2013年11月、桜田淳子さんは博品館劇場での『Thanks40』で、多くのファンに囲まれて、『幸せな1日』だと語ってくれた。
淳子さんは幸せであり、取り残されたファンのことだけが彼女の気がかりだったということがわかった。
『スター・ウォーズ』が間もなく封切りとなるが、アナキンが、ダースベーダーに化身させたのは、『怒り』だった。
怒りが思いもかけないパワーをうむ。
多くの淳子ファンの『怒り』が、永い時を超え、結実したのかもしれない。
そして、『再会』とともに、その怒りが過度に増幅することもなく、『静かな喜び』となった。
昨年、6月だっただろうか、『サワコの朝』だったと思うが、松田聖子さんが、ゲストで登場し、桜田淳子さんの『気まぐれヴィーナス』を紹介してくれた。
僕には十分すぎる喜びとなった。
その後も、多くの人の口から淳子さんのことが語られる。
先日は、アグネスの口からも語られた。
統一協会問題についても、最近、古参の幹部の更迭や、統一協会という名前の変更など、組織改革が進んでいると聞く。
過去のマイナスの風聞が改善されるとすれば、それを見守る必要があるのではないだろうか。
日本人の宗教観は独特で、多神教であり、宗教に対して包容力があると思う。
11月に入って、日本、中国、韓国の複合的な会談が、開催された。
思い起こせば、このブログは、日中韓について多くのスペースを割いてきた。
歴史問題、領土問題は、国力と関係する。
国力を上げることが、解決を早まることは自明であろう。
異論はあろうが、解決策の一つとして、自衛権の拡大、価値観まで拡大した形での妥結となった『TPP』が、この問題への解決を早めることになるのだろう。
これからは、『怒り』を解いて、冷静に問題解決を図ることが必要となる。
『怒り』は、力を生むが、解決には至らず、新たな問題を生みだす。
戦前の日本の轍を踏むことなく、妥当な運用が必要になると思う。
憲法違反だという声があり、方や、憲法改正だという声がある。
いずれも極端であり、違和感がある。
憲法が目指す平和な国にするのは、人による冷静な判断に他ならない。
私は、日本人がこれまで培ってきたバランス精神こそが試されるのではないかと思う。
良くも悪くも、経験を財産にして工夫をする『いなしの知恵』とは、そういうものではないか。
20年以上の時を経て、桜田淳子さんの楽曲を聴くのが再び楽しみになってきた。
今なら、自分自身のパズルの最後のピースを見つけられるかもしれない。
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