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もつれた糸 [時事]

報道とは何か。

 そんなことを考えさせられることが続く。

数年前、子供の受験の為と思い、石原千秋さんの『受験国語が君を救う』と言う本を買ってあげたことがある。

受験により、読解を知り、思考の多元化を図ることができ、そこから智恵が生まれる。

僕らの時代は、よく、朝日新聞の社説か天声人語を読むことを進められた。

さらに、評論、随筆は、小林秀雄さんの難解な本を読むことが求められたし、小説は、夏目漱石を愛読するものが多かった。

それは、受験に良く出題されると言う理由が大きかった。

そして、学生の頃は、インテリ気取りのある種の証明に、『朝日ジャーナル』があった。

学食でさりげなくを読む友達に妙なコンプレックスを感じたものだ。

朝日ジャーナル編集長の筑紫哲也さんの寄稿は読んでいた記憶がある。

まだまだ、理想論をかざしてわかったような気になっていたときのことだった。

『朝日ジャーナル』自体は、左寄りだとしても、筑紫さんの読み物は、それを感じさせなかった。

それは、彼のジャーナリズム精神に由来するのだと思う。

その朝日ジャーナルの転機となった時代を紐解いてみよう。

1985年だったか、豊田商事事件があった。

カメラの前での刺殺という衝撃的事件とともに悪徳商法という言葉を、全国的に有名にした事件ではないかと思う。

それまでは1970年代のネズミ講事件しか知らなかったが、マルチ商法など、○○商法という言葉が生み出されていったのもこの頃だった。

それは、金融の時代、バブルの時代を見据えての時代の『光と陰』だったかもしれない。

翌年の1986年になると、『霊感商法』という新語を耳にする機会が増えてきた。

その年の12月5日号の『朝日ジャーナル』に霊感商法を糾弾する記事が掲載される。

当時の編集長は、筑紫哲也さんだった。

しかし、ほどなく、筑紫哲也さんは、編集長を下ろされる。

そして、『朝日ジャーナル』は、霊感商法批判、統一教会批判をさらに強めていく。

その急先鋒が、当時無名のルポライターの有田芳生さんだった。

フリーのジャーナリストとしては抜擢と言っていいのかもしれない。

その象徴として、朝日ブックレット『霊感商法』(朝日ジャーナル編、1987年6月)が発行される。

つい最近のことだが、『霊感商法』という小冊子を近くの図書館で入手した。

もちろん、時代意識をもって批判的に読む気持ちはあったが、それ以前に、正直あの『朝日ジャーナル』が、と思わせる内容だった。

あきらかに、時代の言葉である『○○商法』にかこつけての、統一教会への名指し批判である。

このブックレットは批判する必要の無い程度だったことだけは断言できる。

本来なら、あらすじでも拾い、問題点を挙げるのが正しい批判のあり方かもしれないが、読み始めて、落胆するまでに、さほど時間がかからなかったとだけ記録しておこうと思う。

読者が、この手の記事に求めるのは、何故そうなったかの取材の深さであり、それが導きうる時代への警鐘なのではないか。

しかし、このブックレットにあるのは、東西の古いイデオロギー問題だったと言っていい。

イデオロギー問題を少し角度を変えてみよう。

1980年のモスクワオリンピックは、前年のソ連のアフガン侵攻に抗議する形で、西側諸国がボイコットし、1984年のロスアンジェルスオリンピックは、東側諸国がボイコットする事態になっていた。

しかしながら、この二つのボイコット合戦は、多くのスポーツ選手を傷つける不幸はあったが、結果的に見て、西側の商業主義によるオリンピックが成功し、共産主義は衰退に向かっていったように思う。

事実、翌年1985年から、ゴルバチョフ時代になり、ペレストロイカが推進される。

もはや、マルクス主義は、学問的には成り立つとしても、人類の進歩の前には無力であることが露呈したのではないだろうか。

1985年以降は、商業主義化の流れの中にあり、純粋な共産主義は衰退に向かうと共に、彼らの主張は資本主義の枠組みの中で、その主張をしていく事になる。

朝日ジャーナルの変容はその影響下にあるとさえ思える。

筑紫さんが、偏った編集方針を当時どう感じたかは、今更の感があるが、編集長交代後の朝日ジャーナルの衰退・廃刊への道を考えるとき、本のタイトルを離れジャーナリズム精神をも見失っていったことと無縁では無いと思う。

時は流れ、今、親会社の朝日新聞が、歴史的な岐路に立っている。

従軍慰安婦問題のけた外れの誤報が、明るみになった今、朝日新聞社の姿勢そのもののが多くの批判にさらされている。

読者ばかりか、記事の提供者までが、離れようとしている。

池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ

そして、国会喚問までとりざたされている。

1970年代の西山事件で毎日新聞が倒産に追い込まれたことが思い起こされる。

報道の危機といってもいいのではないだろうか。


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