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菊と刀 [時事]

時の経過は、人に様々な変化を与える。

40年近く前だが、高校の時の漢文の授業の事は良く覚えている。

『仕事だから漢文は教えるけれども、大して重要ではない。』

と切り出しながら戦争体験を話すのが常だった。

先生は、元海軍のパイロットだった。

歯並びはがたがたで、笑うとお世辞にもいい気分になれなかった。

それでも、授業の半分で語られる戦争体験は、僕らを引きつけた。

先生は過去の戦争を美化していたのだろうか。

自分の勇敢さを誇示していたのだろうか。

今でも、良く覚えているこことは、空母への着艦の難しさだった。

海上では、風の影響を受け、波に揺れ、離着陸の距離は短く、短時間に操縦をこなさなければならない。

しかも無駄な飛行は、貴重な燃料の浪費となる。

その上、少しでも弛んだ姿勢を見せると、容赦なく上官の鉄拳が飛ぶ。

先生の歯並びの悪さは、その影響が大きいと言うことは容易に察しがついた。

軍隊には、『軍人精神注入棒』というのがある。

六角棒で、そこには軍人精神が書かれており、それでお尻をたたかれるという。

先生が痔だったこともあるが、その痛さたるやこの上なかったとのことである。

何が幸いするか分からない。

着陸の際の衝撃を和らげることが、自分の尻の痛みを和らげることになる。

技術は、そうして磨かれたというのが、先生の言だった。

その先生が、言う。

『零戦で、いよいよ最後を知ったときに、パイロットが口にするのは、決して天皇陛下万歳ではなく、残された家族、多くの場合おかあさん、だった。』

そして、戦争は人を狂気に変える。

厳しい訓練や軍隊生活の中にいると、死ぬのが怖くなくなる、という。

そんな、先生でも、宣戦布告した国に対する恨み節は聞いたことがなかった。

もちろん、戦争を体験した両親も含めて身の回りの人で、国の責任を問う声は聞いた事が無かった。

多くの人が、廃墟から立ち上がり、戦後の危機は乗り越えたが、実は、戦後が遠くなればなるほど、戦争責任を問う声が強いのではないだろうか。

それは、外国からだけではなく、国内からもそうだろう。

特に、この『失われた20年間』ほど、その傾向が強い。

かつて、ベネディクト女史は、『菊と刀』で日本を『恥の文化』だとした。

子供の頃は、戦争の悲惨さが強調されていたが、この20年間に与えられたものは、日本人の名誉を踏みにじるものが多かったように思う。

このブログで、慰安婦問題を何回か取り上げた。

まだ幼い頃から、従軍慰安婦のことはテレビドラマでも取り上げることがあり、この耳慣れない言葉を父に聞いた事がある。

しかし、時代が進むにつれ、女性の権利が高まると共に、この問題は現在の人権感覚と絡まり、複雑になってきた。

あきらかに、法理論を逸脱している。

そこには、別の意図がある。

過去記事では、

日本と韓国の関係  

すべてはここから始まった

と題して、

朝日新聞の慰安婦に関する記事の訂正

河野談話の検証

の2点の挙げていたが、それは、根拠が薄弱だったこと、展開に飛躍があることからすれば、あまりにも当然すぎることだったと思っている。

今年になって、7月に河野談話の検証が行われ、8月に入って朝日新聞の従軍慰安婦に関する訂正記事が発表された。

それが、外交の果実であるにしても、遅きに失した感がある。

なぜなら、十分すぎるくらい多くの人を苦しめた思うのは私一人では無いと思うからだ。

来年、戦後70年を迎える。

この時期に、集団的自衛権を始め、国内外に様々な動きがある。

その動きに反発の声は多く聞かれる。

その多くは、侵略戦争への反省に根ざすものだろう。

僕らの時代には、教科書には侵略とは書かれていなかった。

それは、戦争経験者が多数を占める時代、戦友の死がまだ身近にあった時代に、どうしても『侵略』とは書けなかったのだろう。

しかし、第二次世界大戦以前は、欧米列強による植民地政策がとられ、アジア、アフリカには独立国としての体裁がなく、食うか食われるかの時代で生き残ることが難しかったのも事実であるし、列強により後進国の分割が進む中での軍事的な侵攻であった思う。

もちろん、それを侵略と言うべきだろうが、欧米列強のアジア、アフリカへの侵攻は、すべて侵略だったと言うことだろう。

昭和20年8月15日、終戦を迎え、日本は無条件降伏し、連合国による東京裁判で戦争犯罪を裁かれ、占領下では軍国主義の温床となるものは解体した。

温床となる価値判断は欧米の価値判断に多くを委ねられたことは書くまでもない。

ただ残されたものがあるとすれば、それは、戦地に赴いた者の記憶と、教室の隅で恐れず語る教師の声や、寝床で語る父親の話なのかもしれない。

それは、恥ずかしいこと、やましいことがなかったということだけは断言できる。

今日、終戦の日を静かに迎えるにあたり、いささかでも先人に思い至りたいと思う。

追伸、動画のUP主様に感謝します。期間限定での引用と致します。


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